
No man, No cry ロングトレイル一人旅
160キロ、テクテク歩いた
道程は160kmだった。
暮れに東京の友人が突然やってきた。
25年程住み慣れた東京を離れ、昔、炭鉱で栄えた九州の町に帰る途中に家財道具を積み込んだ箱バンでやってきた。
ミュージシャンになりたくて上京した彼の頭には僅かに髪の毛がちらほら残っているだけになっていた。
しかし、悲愴感はなかった。彼は小さな目をしょぼつかせ、東京の生活の思い出を語っていた。
彼の立川の米軍ハウスのパーティーに何度か招かれたことがあった。彼はパーティーのブルースセッションで自作の曲を披露した。
今も耳に残っているのは「旅に出よう~」と唄う彼の嗄れた声だった。驚くほどうまくはないが魅力のある声だった。
東京の友人のこと、これからの生活のことを語り合った翌朝、家の前で別れて、彼は年老いた父親の待っている九州へ向かった。
夢は叶うことはなかった。
別れた彼のこれからのことを思いながら、地図を持ち、一人歩き始めた。
目的地は中島丈博のシナリオ、黒木和雄監督「祭りの準備」の映画の舞台になった町、中村だ。原田芳雄の脇役演技が光った大好きな映画だ。
明治時代に天皇暗殺計画の「大逆事件」の首謀者とされた幸徳秋水の生まれた町だ。
小京都と呼ばれるものの、そんな面影はなく、寂れた田舎町である。今では最後の清流四万十川で有名になっているものの、肝心の四万十川は言うほど清流でもない。はっきり言って大して魅力のある町ではない。どこにでもある田舎町である。
車で行けば2時間半の距離である。いつも走り慣れた国道56号線は高知から中村まで車のメーターは100㎞前後をカウントしてくれる。
高知の市街地を抜けると、田舎の国道は片側一車線となり、我が物顔でトロトロ走る農家の軽トラックとダンプに嫌気をさしながら、退屈な2時間半、カーラジオを相手にひた走りに西に進路をとる。目をつぶっていてもカーブも曲がれるほど何度も通った田舎の国道だ。
通りすぎる幾つかの町は寝ぼけたような田舎町で、パチンコ屋のけばけばしいイルミネーションだけがやたら目立っている。
正月休みを利用して、中村まで歩いて行ってみようとふっと思った。新しくトレッキングシューズ、携帯ラジオ、望遠鏡等の小道具も一通り揃え、数日前から練習歩行を繰り返した。出発の数週間前からタバコも止めた。
人生に悩み、疲れ果てた行脚の旅ではない。気が向けば釣りでもしょうと気楽な旅人だ。
少しは俳人の山頭火を真似て、「こころつかれて山が海が美しすぎる」と気取るのもいいかもしれない。
真新しいリュックを背負い、手には手袋とスティックを持ち、如何にも歩いてますよという出立ちは、少し気恥ずかしさを感じる。
田舎の方がかえって都会より歩くことは少ない。田舎道を歩くのは人目を惹く。遍路さんでもないのに高知から中村まで歩いていますといったら変人扱いだ。少し虚勢を張って堂々と歩かないことには、泥棒と間違えられるかもしれない。
遍路さんの歩く道を辿るように、国道を避け、田舎道を意気揚々と歩き始めた。
家を出て県道を渡るとすぐ長閑な田園地帯が広がっている。
春野町の34札所、種間寺の手前から山越えで仁淀川の河口へ向かった。山道の途中で見たのは、谷に捨てられた塵の山だった。 不法投棄に堪り兼ねたのか防御ネットが張り巡らされていた。田舎は自然が残されているといっても、人目につかないところは、無惨な姿だ。車を走らせていると目につかないものの、ゆっくり歩いてみると国道沿いの側溝、茂みには塵が隠されている。
自然環境保護論者ではないが、少しやりきれない気分にさせられる。
格好だけのアウトドア用の大型のレジャーカーが連休ともなると、大挙押し寄せてくる。河原まで乗りつけ、少しだけ車から降り、少しだけ自然に触れる。その間も車の窓を締め切り、クーラーはガンガンかけっぱなしだ。置土産は塵の山だ。ありがたい。
仁淀川の河口大橋を渡り、昼過ぎに横波三里に出た。
大橋の上で友人から携帯電話がかかってきた。今、松山に着き博多行きのフェリーに乗るところだと。
河口の岸辺ではラジコン飛行機を空高く、飛ばしていた。空は青く、川も海も青い。晴天だ。
友人はとうとう九州の人に返る。
宿は予約せず、適当なところで泊ろうと考えた。
言葉の分からない外国へ行くわけじゃあるまいし、それも知り尽くした高知だ。宿くらいどうにでもなる。
横波三里は高知では珍しいリアス式の入江が長々と続いている。岬を回るとまた遠くに岬である。いつ果てるともしれない道のりだ。
トレッキングシューズに包んだ足がふやけて痛くなる。陽も落ち始めた。段々、嫌気がさしてくる。
途中で宿を尋ねると、横波三里の奥の端に車で10分足らずのところに民宿があるとのこと。
とっぷりと陽も暮れ、やっと目的の民宿に辿り着く。
車で10分は歩いて2時間もかかる距離だった。
ところが民宿は閉まっており、玄関を何度も叩くも、音沙汰なし。困り果て、近くの公衆電話で電話をかけると、やっと出てきた女将らしき声が、無碍にも暮れは休みとのこと。
まいった。自棄で自販機でビールを買う。腫れた足はもう歩くのは止めてくれとせがむ。野宿の準備はしてこなかった。少し甘かった。仕方がない、須崎まで歩くしかない。
人家のない横波三里をとぼとぼと再び歩き始めた。心細い。芥川龍之介の「トロッコ」の少年のような気持ちだ。
横波三里の闇から、やっと抜け出し、須崎に近づくと人家もぽつりぽつり見え始める。
時計は夜の9時をとっくに回っている。
やれやれと思った瞬間、黒い犬がサッと足もとを逃げていき、ぎょっとさせられる。
更に道端に黒い塊が。おそるおそる懐中電灯で照らしてみる。
ギョ!七面鳥が道のど真ん中で死んでいる。それも大きな七面鳥だ。こんなところに何故??
黒犬が少し距離を置き、こちらの様子を窺っている。
犬が農家から盗んできたのだ。石を持って追っ払うも、犬はご馳走を諦めきれず、そろりそろり近づいてくる。また石を持って追いかける。イタチごっこである。
夜中に知らない人が見たら、何と思うだろう。道端には死んだ七面鳥、目だけぎょろつかせた黒犬、それを追っ払う憔悴し切った中年男、摩訶不思議な光景だ。
こんなことに関わっている場合ではない。とにかく宿を探さなければ。七面鳥さんよ、ごめんよ。黒犬のご馳走になってやってくれ。
須崎の国道沿いのビジネスホテルに着いたのは、10時近くになっていた。ホテルマンが変な顔で出迎えてくれた。朝8時に家を出て、14時間あまり歩いた。生まれて初めての経験だ。万歩計は7万歩をカウントしていた。初日にしてこれだ。
追記 この記事はずいぶん以前に書いたものです。当時まだロングトレイル、ウルトラライトハイキングと言う言葉は日本にはなかったです。アメリカの方ではロングトレイルは盛んだったのですが、日本では馴染みがなかったです。四国では巡礼の旅は昔からあったのですが、ハイキングとして楽しむのはずっと後のことです。今では一般的な登山、ハイキングは超人気です。
コロナで密を避けてキャンプが流行りです、でもあまりにもキャンプが人気になりキャンプ場が密に、笑えない。
登山道具も軽量化が進み、軽量でも丈夫なものが多くなりました。今は家族キャンプでは焚火が超人気になっているようです。
アメリカでは、67歳のエマおばあちゃんが3500キロをひとり旅して有名になっています。
160キロくらいでへこたれていてダメですね 笑
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