河童考

今は昔、ある学者がカッパの伝承を情熱を持って集め、偉大な業績を残し、自他ともカッパの研究の第一人者と認められていました。
それは正当な評価です。伝承としてのカッパの研究は、、。

さる学者は更に異常な研究心で日夜カッパの研究に没頭している折、ある片田舎の旧家の蔵にカッパの死骸があることを聞き及び、彼は何はさておき駆けつけます。

目の前のカッパを見て、生唾を呑み込み、身の毛もよだち、思わず武者震いをしてしまいます。

「おー!カッパは実在したのか!、伝承ではなかったのか!」と思わず雄叫びを上げてしまいます。

カッパの死骸を見せつけられ、今まで空想の生き物だと思っていたのですが、伝承は実在したカッパの話だと確信します。彼はカッパの伝承からカッパの存在の証明へと研究内容がシフトします。

「カッパは実在した!」と大きくマスコミもこぞって取り上げます。

さる学者の弟子たちも若い情熱でカッパの存在の実証に奔走します。

しかし、情熱を傾けても一向に第二のカッパは出現しません。

その後、全くカッパの存在を証明する手掛りが得られず、やはり日本にはカッパはいなかったのではないかとの懐疑的な意見も出るような始末です。

それから10年の歳月が経ち、虚しくこの研究も終息するのかと思われた矢先、ある地方で纏まってカッパが発見されはじめ、息を吹き返します。

カッパの発見がいつもいつも同じ人の手によるものですから、マスコミも大々的に時の人としてその人を賞賛します。いつしか「カッパハンド」と崇められるようになります。

懐疑派たちは続々と発見されるカッパを突きつけられ、ンーどうも怪しいなーと思いつつも、大勢はカッパの存在を認める方向に大きく傾いていきます。

カッパの存在を認めないものは学者にあらずという風潮で、カッパ信仰者が増大してきます。

カッパの存在が証明され、研究も果てはカッパの頭の皿の細部の研究にまで進みます。

このカッパの皿は江戸時代の初期伊万里の染付けの技術を取り入れており、江戸初期のカッパである、印判手染付けの皿を持ったカッパだから明治のカッパだろうと編年観が示されます。外国には類例が見当たらないので、日本固有の種であろうとの判断も下されます。

懐疑派達はカッパの発見地が偏在することに懐疑的ですが、ところが直ぐに自分の地方の蔵からもカッパも出るものですから、段々黙らざるを得ません。

これと言った特産品のない田舎は、カッパに飛びつきます。

町興しにカッパを利用します。観光誘致に町中カッパだらけの商標が出現します。

寿司屋はもちろんカッパ巻き、理髪店はおカッパ頭、神社ではカッパの奉納相撲です。農家もキュウリの生産に大わらわ。もちろんカッパの皿の模造品も売り出されます。カッパの皿回しの曲芸も現われます。

カッパを素材にして小説を書き、芥川賞の候補になったりする人もいます。もうカッパ様々です。もうこうなると懐疑派達もお手上げです。

果てはカッパが川で流されていたのを見たと言う人まで出現します。30km離れた沼で発見されたカッパの割れた皿が接合し、カッパの行動範囲が研究材料になったりもしました。

学界でもカッパの存在は既成事実として、多くの研究発表が行われます。文部省のお墨付で教科書にも取り上げられるようになります。

カッパの学術調査が行われ、カッパの竪穴住居跡も見つかったりします。

カッパの皿も多く見つかり、研究者達はカッパの研究に邁進します。

矢継ぎ早に世間を驚かすような発見が続き、どうして「カッパハンド」だけがカッパを見つけることができるのだろうかと、素朴な疑問が出てきます。

怪しいとの噂が流れ始めます。

ところが更に驚いたことにカッパの「金の皿」が発見されるに至り、学界も騒然としてきます。

世紀の大発見と大騒ぎする一方で、懐疑派達は「そんなことはありえない」と声を大にして反論を展開し始めます。マスコミも賛否両論で喧々がくがくとなります。

懐疑派の中には、「金の皿」は贋作だ、カッパの甲羅はスッポンのもので偽物だとの否定論を展開します。そして外国にそんなものはないと主張しても、肯定派は日本固有の種であるから、そんなのは否定の根拠にならないと無頓着です。

しかし、ある研究者がカッパの毛をこっそり盗んで顕微鏡で調べてみると、狸の毛であったとか、カッパの皿の絵が水で流れて消えたとかの良からぬ噂が流れます。さる第一人者の学者にその噂を進言すると、目を三角にして「たわけもの!」と一喝されてしまいます。

世紀末も近づいたある日、朝刊に「屁のカッパ、やはり臭かった!」の文字が一面トップに、でかでかと躍っています。

「カッパハンド」がアカンベーをしている写真も大きく載っています。

「実はあれは私がいたずらで、仕組んだことです、鼻持ちならぬ学者を担いでやりました」との動機が語られていました。

さる有名な学者はその記事を見て、へなへなと座り込んで、思わずちびってしまったとのことです。

そして、しばらく空を仰ぎ見ていたとのことです。

その目には空中を嘲り笑うようにスイスイ泳いで行くカッパの姿が見えたかどうか、またその後の顛末はどのようになったのか定かではありません、、。

今は昔の出来事でした。