
ジェンダー、考古学からの視点 その1
目次
「要約」
<keyword>
考古学、gender、社会的文化的性差、生物学的性差、ジェンダーフリー
今日的な問題として、ジェンダー論(※1)が多く展開されている。特にジェンダー格差、性的なジェンダーギャップが問題視されている。
それらは農耕社会から労働の価値としての男女格差は、富の偏りにより発生し、それが性差として顕れ、性の商品化としての価値観に変化した。
支配する性と支配される性、搾取として捉えられるようになった。
考古学的見地から先史社会から農耕社会に転換期があったものと考えられる。
考古学的視点から探ってみたい。
(※1)参照元「ジェンダー」ウィキペディア(Wikipedia)
1. 「産む機械」論
a. 日本社会の女性観
日本における性差の何が問題なのか、日本の女性観を政治家からの発言を拾ってみたら、すざましい発言が飛び交っている。
日本社会での女性観が端的に表れている発言です。
目立つのが女性を子供を産む性としか取られていない発言が目立って多いです。
家父長制で女性性に世継ぎの出産しか求めていないことと同じであからさまです。なんら女性に社会的な貢献、人間性、人権を認めるとは真逆の発言が、今の政治家から発せられているのが特徴です。
それも政治の中枢の位置にある政治家から発せられていることは、現在の日本のジェンダーの問題がほとんど顧みられることもなく、そればかりでなく圧迫する発言は問題でしょう。
いくつか典型例を拾い上げてみます(※1)。
b. 政治家の発言例
「女性は15歳から50歳までが出産をして下さる年齢。『産む機械、装置の数』が決まっちゃったと。その役目の人が、一人頭で頑張ってもらうしかない」(注1)
「子どもも1人もつくらない女性が、自由を謳歌し、楽しんで、年とって、税金で面倒をみなさいというのは本当はおかしい」(注2)
「まず自分が産まないとダメだぞ」(注3)
「高齢者が悪いというイメージをつくっている人が多いが、子どもを産まないのが問題だ」(注4)
「この結婚を機に、ママさんたちが一緒に子供を産みたいとか、そういう形で国家に貢献してくれたらいいなと思っています。たくさん産んで下さい」(注5)
「子供を4人以上産んだ女性を厚生労働省で表彰することを検討してはどうか」(注6)
「結婚しなければ子供が生まれないわけですから、人様の子どもの税金で老人ホームに行くことになりますよ」(注7)
「子どもをたくさんを産んで、そして、国も栄えていくと、発展していくという方向にみんながしようじゃないか」(注8)
「子どもを産まなかった方が問題なんだ」(注9)
「お子さんやお孫さんにぜひ、子どもを最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」(注10)
「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」(注11)
「女性はいくらでもうそをつける」(注12)
「女性にハイヒール・パンプスの着用を指示する、義務づける。これは、社会通念に照らして業務上必要かつ相当な範囲かと」(注13)
「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想です」(注14)
「そもそも発達障害にならないためには、赤ちゃんの時からテレビを見せ続けないことや、これまでの伝統的育児をすることだが、今の若い親はそういう方法を知らないし教えられていない」(注15)
こうした発言は時の政権自民党の政治家から発せられています。
それも総理大臣経験者から発せられるのが日本のジェンダーの問題点です。
同じ内容の発言が繰り返されていることは、国民が許容してきた結果です。
問題発言をした政治家は悔い改めることもなく、その座に居座っていられるのは、国民全体の認識が前近代のままでしかないことの顕れです。
根深い問題を内包しているのにもかかわらず、目を背け、放置してきた帰納です。
他の差別に通底する思考回路です。
<注>
(1)柳澤伯夫(自民党厚生労働大臣)2007
(2)森 喜朗(自民党総理大臣)2003
(3)大西英男(自民党衆院)2014
(4)麻生太郎(自民党総理大臣)2014
(5)菅義偉(自民党総理大臣)2015
(6)山東昭子(自民党参院)2017
(7)加藤寛治(自民党衆院)2018
(8)二階俊博(自民党幹事長)2018
(9)麻生太郎(自民党副総理大臣、財務大臣)2019
(10)桜田義孝(自民党衆院)2019年
(11)森喜朗(東京オリパラ大会組織委員会会長、総理大臣)2021
(12)杉田水脈(自民党衆院)2020
漫画家はすみとしこと共に伊藤詩織さんにセカンドレイプ、
LGBTには生産性がないとの発言で物議を醸す。
(13)根本匠(自民党厚生労働大臣)2019
(14)杉田水脈(元次世代の党)2014
(15)下村博文(自民党衆院)2012
(※1)参照ブログ「チャリツモ」「政治家 うっかり失言 TIMELINE 〜ジェンダー編〜【2021.2更新】」
2. ヒトの誕生
a. 進化論

1859年にダーウィン「種の起源」が提唱されてから、進化論は大きく進展した。進化論は科学史に残る偉業で、西欧の史観に転換を迫った。いわゆる科学的なパラダイムシフトである。それは科学史だけではなく、宗教、生物学、社会学、思想史等ありとあらゆる分野に今まで通説とされていたものが見直し、再考作業が19世紀の課題となった。
旧態依然の社会から強い反発が起こったのは当然である。
創世記では人間はアダムとイブから始まると頑なに信じられていたのが、人間は猿から進化したとなれば、人間の沽券にかかわることであった。
b. 類人猿とヒトの分岐

ざっくり現生人類の誕生の道のりを教科書的におさらえしておこう。
ヒトの祖先とオラウータンの分岐1,400万年前、ゴリラ1,000万年前、チンパージー700万年前。
ヒトがチンパンジーから分岐した後は、猿人アウストラロピテクス400万年から200万年前、原人ホモ・ハビリス240万年前から140万年前、ネアンデルタール40万年前、現生人類ホモ・サピエンス25万年前である。(※1)
現生人類ホモ・サピエンスがアフリカで誕生したことは今ではいろいろな研究からして間違いないことで、人種差別主義者が拘泥する多地域進化説はもう過去の説である。
c. 出アフリカ

人類の出アフリカ
現生人類ホモ・サピエンスは7万年前にアフリカを出て、各地に適応放散していく。いわゆる出アフリカである。現生人類は世界の隅々まで進出を果たす。南米の南端にたどり着いたのは1万5千年前ほどである。
拡散してもホモサピエンスの言語は共通するため翻訳可能でお互いの言語は方言に過ぎず、コミュニケーションが取れる。コミュニケーションが取れたとしても、友好的か敵対的はまた別問題である。
出アフリカでホモ・サピエンスが未知の世界で出会ったのは、先住者の旧人であるネアンデルタール人であった。(※2)
d. ネアンデールタル人との交雑
いままでネアンデルタール人は野蛮人だとされ、現生人類が出アフリカの前に絶滅して、現生人類とは繋がりがなかったと考えられていた。
ところが最近の研究では現生人類にネアンデルタール人の遺伝子がわずかに入っていることが分かった。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは交雑していた。(※3)
ネアンデルタール人の血が我々ホモ・サピエンスに混じっているということで、にわかにネアンデルタール人の見直し作業が行われ始めた。我々の祖先の一部が野蛮人では困るので、死者に花を添えていたとか心優しい人類にイメージチェンジを図ろうとしている。
e. 分類学上のヒト
タクソン(分類群)からすると科(family)・属(genus)・種(species)では、現生人類とネアンデルタール人と現生人類はサル目ヒト科ヒト属に共に分類される。
ネアンデールタール人は3、4万年前に滅んでいる。
かつてはネアンデルタールとホモサピエンスは年代的にもクロスすることはないと考えられていたが、発掘調査、科学的年代測定と遺伝学の研究の進展により、現生人類のDNAに僅かに残されていることが判明し、交雑もあったのではないかとされている。
ネアンデルタール人の立ち位置は、現生人類と交雑が起こるということは、生物学的には同種または亜種の関係にある。
f. ヒトの単一進化説と多地域進化説
分子生物学が取り入れられるまで、現生人類は多地域で進化し、いわゆるネグロイド、コーカソイド、モンゴロイドはそれぞれの地域の原人から進化したと考えられていた。
それが人種差別の根幹に横たわる理論であった。タクソンからすると交雑が起こることは同種である。現生人類多地域進化説は成り立たない。
例えばウマとロバの分岐は400万年前で、家畜として交雑の子がラバである。ウマはウマ科ウマ属ノウマ種、現在の家畜としてのウマはウマ亜種に、ロバは400万年前にウマと分岐し、ウマ科ウマ属ロバ亜属ロバ種で属までは分類学上同じである。
人間の手により、オスのロバとメスのウマの交雑でラバが誕生するものの、ラバは一代雑種で子孫を残せない。ロバの染色体62本、ウマは64本でラバは63本と倍数体でないため繁殖は不可能である。(※3)
属の系統樹段階では同じでも、種が異なると交雑が不可能となり、分類学上分離される。
つまり、現生人類はウマとロバの関係のようにタクソン的には隔たりはなく、全てのいわゆる「人種」は交雑可能であり、染色体数も同数である。だから分類学上、人種という概念は当てはまらない。人種差別(racism)もアンチ共に間違った概念で社会的差別を語っていることになる。
g. 現生人類は同じ「種」である

1958年の動物園に見世物になった黒人少女
現生人類は単一種であり、本来、民族的、文化的な違い、適応放散の結果の違いであって「種」の違いではない。
4.5万年前にヨーロッパに、オーストラリアには4万年前ほどに、日本列島には4万年前から3.5万年前にたどり着いている。アジアに拡散したモンゴロイドとヨーロッパに拡散したコーカソイドの分岐は出アフリカ後の7万年前と考えられている。(※4)
極めて短期間に現生人類は環境適応を見せ、形質的には多様性を持つようになった。皮膚の色の違いは人間のほんの僅かな表徴の違いでしかない。
一皮剥けば、現生人類は皆同じである。
このヒトに関する「種」は作られた概念で、「人種」が奴隷制等の社会的差別に恣意的に利用されてきた。家畜同然と見なし、奴隷として売買が行われた。
人は排除の理由づけと理論を構築してきた。それは決して科学的なものではなく迷信、畏怖、排他的な心理による。社会システムが許容し、強固なものへと固定化していく。偏見的な視点は容易に改まることはない。
後のジェンダーの問題とも絡んでくる。
<※ 参照元>
1 「人類の進化」ウィキペディア(Wikipedia)
奥野克巳 (人類進化図)
2 「ネアンデルタール人のDNA、アフリカの現生人類からも検出 新研究」CNN
4 「人の移動と歴史」ウィキペディア(Wikipedia)
(続く)