青の欠片 3
<親に捨てられた子供達は廃墟の中で自分たちの力で生きてきた。文明が一度崩壊し、縄文時代、弥生時代のような先祖帰りした社会の中で子供達は自分たちで学び困難に立ち向かった。 考古学を題材にした子供達のサバイバル物語>
三 漁師の襲撃
今まで一番落ち着いた日々が過ぎて行った。
きびしい冬がやってくる前に、神社跡を本格的に修理した。
屋根も壁も修復した。茅を刈ってきて、雨もりしていた屋根にふいた。隙間風が入らないように、細長い草を混ぜ込んだ赤土を壁に塗りつけた。ヨモギとゴリの寝起きしていた産小屋も建て増し、広くした。皆満足気にでき上がりを見上げた。
ヘソはぎこちなく、また皆に溶け込んで行った。イヌがおそるおそる人間の顔色をうかがうように、ヘソは皆に近づいた。なついてくるイヌに接するように、ヘソを受け入れると、ヘソは嬉々として皆の輪に加わった。
ゴリに対する気持ちはしっくりしなかったものの、ゴリとヨモギが仲良くふざけあっているのを見ると、悪い気はしなかった。
ゴリは以前とは違い、子供達に混じり釣りにふたたび出かけたり、ヨモギの仕事を手伝ったりするようになった。
自分達の居場所がちゃんとあることは、安心感をもたらした。こんなことははじめてだった。皆の心に少しずつ連帯感が生まれていた。皆で話し合い、ヨモギには優先的に多くの食料を分け与えた。夜中に誰もこっそり食料を盗む必要もなかった。
生きるために力を合わせた。一人で飢えてさまよっているより、確かに生きる力がみなぎった。
周辺の山々の頂上から、木々が色づきはじめた。空気がすみはじめ、肌寒さを感じた。寒い風が吹きはじめ、風に乗って渡り鳥が飛来しはじめた。
何日か過ぎ、遠くの山々の頂きには早くも雪が降り、白い冠をかぶるようになった。海はさざ波が立ち、磯に白波が打ち寄せた。海鵜が海に没した学校跡で羽を休めていた。打ち寄せる波にあわてて飛び立ったりして、のんびりと羽を休めることはできなかった。すみ切った夜空に星がこぼれ落ちそうにきらめきはじめた。
漁師達はあれから一度も姿を現さなかった。リク達はそれでも警戒して、岬の突端で海上を交代で見張った。
夜も小さな子供達は眠いのを我慢して、交代で貯蔵小屋も見張った。冬になると食料を求め、皆があちらこちらをさまよっていた。ここに食料が蓄えられていることがわかると、襲われかねなかった。
この周辺にどれだけの人間がいるのか、わからなかった。廃屋の数からすると昔は相当数の人間が住んでいたことはわかるものの、今のさまよう時代にどれだけの人間が果たしているのか知りようがなかった。
ウサギがズーッと昔には、この国には一億人もの人間が住んでいたと言っていた。リクには一億人と言う人数がどれだけのものか、わかるはずもなかった。
ここに住んでいる人間の数を指折り数えてみた。自分、ミユ、カニ、ウサギ、ヘソ、それにゴリにヨモギの七人だった。
たったの七人がここで生きているだけだった。たったの七人だけでも生きていくのは大変だった。皆の食べものを十分得るのはむつかしかった。なんとか食料を蓄える余裕ができたものの、自分一人でさまよっている時は、余分な食料を蓄えることはあり得なかった。
一億人もの人間がどうやって食料を手に入れていたのだろうか。果たしてどのような方法で、皆の食料を手に入れていたのだろうか。リクには理解できなかった。
今よりもっと食料を手に入れるうまい方法があったのだろう。方法がわかったとしてもリク達の力ではとてもできそうになかった。
ウサギは街には食べものであふれていたとよだれをたらしそうに言っていた。食料を売る店があり、そこで簡単に食料を買うことができたらしい。図書館の本の写真には、店には肉、野菜、果物があふれ、それを楽しそうに手に入れている様子が写っていたらしい。
ウサギの話しは夢のようだった。一度昔の写真を見てみたいと思った。
この国では米と言う穀物がたくさん穫れ、多くの人間を養うことができたらしい。あちらこちらで米が作られ、秋になるとあたり一面に稲がたわわに実った。米は貯蔵ができ、この国は飢えから解放されたらしい。あちらこちらで米が作られ、食べものを安定的に手に入れることができた。米を作るためには一カ所に住み、村を作り、人々は力を合わせて米作りをしていた。米が手に入れば、自分達も飢えずに暮らせるようになるのだろうか。今では米作りは忘れられ、幻の食べものになっていた。
有り余る食料で人は肥満に悩まされたらしい。自分達は、ひからびたミミズのようにガリガリにやせているのに、なんてぜいたくな悩みだろう。腹いっぱい食べれ、食うことになんの心配もない時代に生まれたかった。
実際にウサギも米を見たことはなかったらしい。ウサギの話しが、本当なのかどうかもわからなかった。カニが誰も知らないから、ウソを言っているのだろうと、茶々をいれた。作り話だろうと鼻で笑った。ウサギはムキになり、本のことをしゃべり散らした。ウサギの話しは、自分達には想像すらできなかった。別世界だった。
本格的な冬がやってきた。
ツグミがふたたび飛来してきた。スーッと走っては立ち止まり、頭を上げてはあたりをうかがうと、また突進するように素早く走った。
ウサギとヘソはツグミ猟を再開した。ウサギはカニと一緒に仕事をするより、ヘソと戯れるように、一緒に仕事をすることを嬉しがっていた。二人は生まれてから、ズーッと一緒に遊んできたように、じゃれあっていた。
リクとカニもイノシシ猟のワナを仕かけに山に入った。ケモノ道にイノシシが地面をほじくり返している跡があちらこちらで見つかった。別のイノシシがこのあたりを新たに縄張りにしているらしい。
異常に数を増やしたイノシシ、イノブタはそれでも警戒心が強く、人間の気配に気づき、ワナにかかることはなかった。
海が荒れ、風が吹き荒れた。海鳥は海辺に避難した。陸に棲む雀とかよりも長い羽根を持つ海鳥が強風にあおられ羽根を傷めた。浜辺のハマゴボウの草むらに隠れていた。
潮風が吹きつける浜を、子供達は傷ついて飛べない海鳥を探し歩いた。見つけると棒で叩き殺した。肉は保存食にし、羽毛は服に入れ防寒着にした。むごいとは思わなかった。羽毛は自分達に暖を与えてくれる。湯につけると簡単に羽根をむしりとることができた。羽根をむしり取られた海鳥はやせ細った裸を恥ずかし気にさらした。丁寧に羽根をむしり取り、衣服につめ込んだ。
ある時、いつものようにリクとカニは海鳥を探しに出かけた。その日は特に海風の強い日だった。
西の水平線に夕陽が海に溶け込むように沈みはじめるまで海辺を歩いた。
海鳥は一匹も見つからず、あきらめて帰ろうとした時だった。風にあおられ、沖合いから渚に近寄ってくる小舟が見えた。リクとカニはとっさに砂浜に身をかがめた。砂の窪地に身をひそめ、沖合いをうかがった。
小舟は大きく波にゆられ、徐々に渚に近づいているようだった。目をこらして見てみると、小舟には人影が見当たらなかった。波間にただよい、こちらに向かってきた。二人は波打ち際に行ってみた。
小舟はフラフラ大きくゆられ、打ち寄せられてきた。リクとカニは波に濡れながら、小舟をつかまえた。
小舟の中には男が一人うずくまっていた。リクとカニは驚いて顔を見合わせた。とにかく小舟が波にさらわれように、波打ち際に引き寄せた。男はじっとうずくまったまま、動かない。
小舟には銛、かごがあるものの櫂はなかった。櫂を失って海をただよっていたらしい。カニが小舟に乗り込み、男の様子をうかがった。男は生きているのか死んでいるのかはわからなかった。
カニが男をそっとあお向けにしてみた。男の顔に赤い血がべったりついていた。カニは腰を抜かし、舟底にたまった海水に尻餅をついた。夕陽が男の死顔を照らし出していた。リクは思わず目をそらし、後ずさりした。得体の知れないなにかにとらえられ、頭がずきずきした。
二人は天満宮に帰り、松明を持って、ゴリとふたたび小舟に戻ってきた。ひとまず小舟が流されないように浜に引き上げた。
その夜、暖かい寝床についても、リクはなかなか寝つかれなかった。夕陽でさらに真っ赤になった男の顔が心にこびりついて離れなかった。
翌日、夜が明けるとゴリと三人で松林に穴を掘り、男を埋めた。埋葬している間もリクは男の死顔から目をそらし、ゴリとカニを手伝った。死の恐怖以外になにかがリクの心をとらえて離さなかった。カニも死の恐怖にとらえられているらしいが、それでも強がりではねのけていた。
男がどうして小舟で流されてきたのかはわからなかった。素もぐり漁で磯にきていた漁師の一人だろう。小舟は少し痛んでいたものの、十分使えた。舟があれば自分達も沖合いに、漁に出れる。冬の間は無理だが、少し暖かくなれば沖合いに出て、もっと大きな魚を獲ることができる。このまま海に流してしまうのはもったいなかった。
しかし、このまま砂浜に放置しておくと、漁師達に見つかってしまう。苦労して、松林まで引き上げた。枯れ草で被い、人目につかないように隠した。念のため舟を引き上げた砂浜の跡も消した。
小舟の荷物は天満宮に持って帰った。蔓で編んだ小さなかごが目についた。
かごに白い小さなツブツブのものがこびりつくように入っていた。ほのかな匂いがかすかにした。少しつやがあり、細長い小さな粒は、少しかたくはなっているものの粘りがあり、指にくっついた。一粒試しに食べてみた。味わってかんでみた。栗ほどは甘みはないものの、やわらかく、ほんの少しばかり甘みがあった。隣でのぞき込んでいたウサギもヘソも口に粒を運び込んだ。皆驚いたように顔を見合わせた。
「これ、きっと米だよ!」とウサギが大発見のように目を輝かせた。
「これが?」とリクが驚いて聞き返した。
「そうだよ、間違いないよ!」ウサギは興奮していた。
リクはしげしげと米粒をのぞき込んだ。漁師達はどこで米を手に入れたのだろうか。果たして自分達で作ったのだろうか。こんなちっぽけな米粒が食料になるのだろうか、多くの人間を養えたのだろうか。不思議に思った。
しかし、今は米どころではなかった。リク達は警戒した。漁師達が死んだ仲間を捜しにやってくるかもしれない。なんとか皆を守らなければならない。そんな気持ちがリクの心に芽生えはじめていた。
ゴリと膝を突き合わせ、これからどうするか話し合った。ゴリはヨモギのことを一番心配した。ヨモギはつわりから解放され、ふたたび自分のもとに赤ん坊が戻ってきて、幸せにひたっていた。次の夏には赤ん坊が生まれるだろう。それまでは無事であってほしい。ゴリはヨモギのこと以外はなにも言わなかった。他の子供達のことを気にかけている様子はなかった。ゴリにしてみれば、たまたまこの地で偶然出会っただけの子供達にすぎないのだろう。
自分だってまだ大人じゃない、他の者を守れるだけの力はないことは十分わかっていた。それでもなんとかしたい。
ゴリを当てにしても仕方がなかった。リクはカニ達と相談した。自分達だけで神社に集まり、どうするか話し合った。
ウサギとヘソはなにを聞いてもただあいまいに答えるだけだった。ミユもどうしていいのかわからないようだった。やっとここで安心して暮らせるようになり、離れがたい気持ちは言わなくてもわかっていた。
カニはここを離れるのは嫌だと言い張った。
「皆が出て行っても、オレは一人だけでも残る!」
カニは小さなこぶしをぎゅっとにぎりしめていた。単なる強がりでもなかった。カニの心にも別の気持ちが芽生えはじめているのだろう。
今までカニも一人で生きてきた。今は違った。素直に自分の気持ちを言い表さないカニにしても、変化が起きているのだろう。血のつながりはないものの、それでもなんとなく家族のような気持ちになっているのかもしれない。家族とはどんなものか知らないものの。
漁師達が行方不明になった仲間を捜しにくる可能性はきわめて高かった。この周辺一帯にリク達の住んでいる跡をあちらこちらで見つけ出すだろう。
「リクはどうしたい?」ミユの顔も不安そうだった。
「そりゃもちろん」
後は言葉にならなかった。
いい考えは誰にも浮かばなかった。自分達の身は自分達で守るか、争いを避けてここを去るかだった。ここを自分達で守ることは、絶望的に思えた。
今は海が荒れている。波がおさまると漁師達はやってくるかもしれない。それまでにどうするか決めなければならなかった。冬にここを出て行けば、春まで生きのびれるかどうかわからなかった。生きのびれたとしても、いつものように飢えに苦しめられるだろう。
漁師の荷物に銛があった。まっすぐな棒の先に、三角形の石のようなものを取りつけていた。抜けないように桜の木の皮を丁寧に巻きつけていた。カニも手に取り、鋭利な銛先を興味深げに見入っていた。銛先は石より光沢があり、魚に鋭く突き刺さるように縁をギザギザにしていた。
「これ、ガラスじゃない?」とウサギが身を乗り出してきた。
「ガラス瓶を割って、作っているみたいだな」とリクは感心していた。石かと思ったものの、ガラスを打ち欠いて作ったものらしい。
「これだったら自分達で作れるかもしれないな」
ゴミ捨て場からガラス瓶を拾ってきた。石にぶつけて適当な大きさに割った後、手頃な破片を拾いだし、加工してみた。
ガラスは意外と硬く、漁師の銛のように縁をギザギザにするのはむつかしかった。手を切ったりしながら、しつこく挑戦してみた。試行錯誤の末、ガラスの縁に釘を押し当て、石で叩くと、細かいギザギザができあがった。漁師の銛とくらべても、同じくらい良いできだった。まっすぐな長い棒の先端に切れ込みを入れ、銛先を差し込んだ。水につけてやらかくした桜の皮を巻きつけてしばった。
カニは得意げに銛を振りかざし、まわりを走りまわった。うり坊の囲いに行き、すっかり大きくなったうり坊をふざけて銛で突いた。うり坊は悲鳴を上げ、逃げまどった。銛から逃げのびて、振り向きカニを威嚇した。止めに入ったウサギを今度は突く真似をした。巻き込まれるようにヘソもカニから逃げた。息を切らして三人はリクのまわりをぐるぐるまわった。
リク達は弓矢も作った。鏃は銛先よりも小さく、ギザギザを作り出すのに苦労した。何本も作るうちにコツをつかみ、満足のいくものができ上がるようになった。ウサギとヘソは鏃を作ることができず、海鳥の羽を弓矢に取りつけるのを手伝った。
弓矢があれば、すばしっこい動物も射ることができる。試しに弓矢を放っても的には容易には当たらなかった。
鼻先まで弦を張り、狙いを定めた。リクは何度もくり返し練習するとだんだん上手になった。
重たい鏃は木の的に鋭く突き刺さった。それにくらべて軽い鏃は的に当たってもはじき返された。ウサギとヘソは的まで飛ばず、途中でなえたように地面に落ちた。カニはリクにへんな対抗意識で何度も練習をくり返し、リクと同じ位にうまくなっていった。
カニはまた弓矢を持ち、ウサギとヘソをふざけて追いかけた。息を切らしてリクのところで止まるとジーッと弓矢を見つめてつぶやいた。
「これだったら人も殺せるな」カニは残忍な笑いを小さく浮かべた。
そんな力が自分達にあるわけがなかった。うり坊でさえ殺すのにおびえていた。襲われたとしても、自分を守るためとは言え、人を殺すことなんかできるはずがなかった。
数日、おだやかな天候が続いた。岬の突端に立ち見張りをした。
岬に吹き上げる冷たい風に吹かれながら、リク達は交代で海を見張った。黒くドロッとしたような海は小さな白波が立つだけで、漁師の小舟は現れなかった。死んだ漁師の小舟を見つけてから、何日も過ぎ去った。
リク達はもう漁師達は来ないのではないかと、淡い希望を抱くようになった。このままなにごともなく、春を迎えれることを願った。
食料はまだ十分な蓄えがあったものの、困ったことが起きた。ミユがこのままうり坊を飼い続けるのは難しいとリクに相談しに来た。うり坊の餌がドングリだけでは足りなくなっていた。四匹のうり坊はどん欲だった。うり坊が大きくなるのは嬉しいものの、自分達の食料までイノブタに食わせるわけにはいかなかった。
「殺して食べるの?」とウサギが哀しそうにたずた。
「当たり前だろう!」カニがぶっきらぼうに答えた。
「どうしても?」今度はヘソがリクにすがるよう目をむけてきた。
ウサギもヘソもまだ十分に事情が飲み込めていないのだろうか。うり坊より自分達が生きのびることのほうが大事だと言うことがわかっていないのだろうか。
「いやだよ!」ウサギがだだをこねた。
「ウサギの気持ちも、ヘソの気持ちもわかるけど、このままじゃ自分達が困ったことになる」なだめるようにウサギとヘソを説得した。
「バカじゃねーか、自分の命とうり坊の命のどっちが大事なんだ」カニはイライラしながら口をはさんだ。
「どっちもだよ」ウサギは譲らない。
「あれもこれもないんだよ!大事なのはオレ達なんだよ」カニが怒鳴った。
リクは困ったようにミユのほうに目をやった。ミユもどういう具合にウサギとヘソを説得していいのかわからないようだった。ウサギとヘソの気持ちはわからないでもなかった。できれば殺さずに飼いたいのはリクだって同じだった。
元々食料にするために、うり坊を飼いはじめたが、今ではうり坊に愛着を持っていた。ヨモギがうり坊を特に可愛がっていた。赤ん坊が死んだ後、母乳でわが子のように育てていた。なついているうり坊は、ケモノながらリク達のことを兄弟と思っているらしい。うり坊は自分達がいつか食料にされるために飼われていると思うはずもなかった。
四匹のうり坊をいつまでも飼い続けるのは無理だと最初からわかっていたことだ。いつかうり坊を処分しなければならない日がくることはわかっていた。かわいそうだからと言って、せっかく育て、野に放つのはもったいなかった。どう考えても、カニが言っているように、あれもこれもない。答えは一つしかなかった。いくら答えを先送りしてもいい考えがあるわけではなかった。
翌朝、リクはミユにそれとなくカニ、ウサギとヘソを海岸に連れて行くように頼んだ。ミユはすぐに事情を飲み込んだ。
「一人で大丈夫なの?」ミユは心配そうだった。
他のものに任せるわけにはいかなかった。リクは皆が出払ったのを見計らい、棒を用意した。
心臓が段々速く打つのがはっきりわかった。うり坊の囲いに行くと、うり坊は餌をくれるのかと勘違いし、鼻を鳴らしてリクに近づいてきた。
冬だと言うのに、リクの額から汗がうっすらと出てきた。リクは自分に言い聞かせた。こいつらはオレ達の食料だと。肉のかたまりだと。
囲いに入るとうり坊達は本能でなにかを感じとり、なきながら囲いの隅に逃げた。身をすり合わせ、リクのほうを不安げに見上げ、鼻を鳴らした。リクが近寄るとあわてふためき、重なるように我れ先に奥に隠れようとした。
一番前のうり坊に棒を振り下ろした。わずかに当たったが、頭からそれて肩に当たった。うり坊達は大きななき声を上げ、狭い囲いの中を逃げまどった。
うり坊の騒ぎを聞きつけ、ヨモギが産小屋から大きくなった腹を抱えて出てきた。
「リク!なにやっているの!」ヨモギが怒鳴っていた。
リクはヨモギを無視し、また棒を振りかざした。確かな手応えがあった。一匹のうり坊の額に命中した。地面にくずれ落ちたうり坊が、短い足を突き出し、痙攣を起こした。
「リク!止めて!」
リクは別のうり坊を狙い、無我夢中で何度も棒を振り下ろした。ヨモギが柵の中に入ってきて、リクを止めた。リクは息荒く立ちつくした。ゴリも後からかけつけた。
ヨモギは地面に横たわったうり坊達を呆然と見ていた。血まみれになったうり坊が腹で苦しそうに息をしていた。
「この子達はわたしの子供よ!」
うり坊達の血まみれの頭をさすり、ヨモギの目から涙が伝わり落ちた。ゴリが困ったように傍らでリクとヨモギを見守っていた。
リクは肩を落とし、血に染まった棒の先を見下ろした。頭がズキズキする。リクの頭になにかがよみがえる。正体のわからないものがおぼろげに形になってくる。うり坊の頭ではなく、それは人間の頭ように見えた。恐怖がリクの心によみがえってきた。先にやらなければ自分がやられる。無我夢中でリクは棒を振り下ろした。
「止めろ!」と突然の大声にリクは我に返った。ゴリがリクを押さえ込んでいた。
ヨモギが驚いてリクを見上げていた。どうしたことか、すぐには状況が飲み込めなかった。ゴリがヨモギをかばい、前に立ちはだかっていた。
とっさにゴリが止めに入ったらしい。間違ってヨモギを棒で叩こうとしたのか。リクは呆然とした。ゴリが止めに入らなければ、ヨモギは大怪我をしていたかもしれない。リクはゾッとした。
棒を持つ手がふるえた。うり坊を叩き殺そうとして気が動転していたのだろうか。幻覚のようなあの人間の頭はなんだろう。思い出せなかった。その頭をめがけて自分は棒を振り下ろそうとした。明らかに殺そうとしていた。なにがなんだかわからなかった。頭が混乱した。ゴリがリクの目をのぞき込んできた。リクは大丈夫だとようやくうなずいた。ゴリがソーッと棒を取り上げた。
「漁師がきた!」ミユとヘソが大声を上げながら境内に走ってきた。
いつも落ち着いているミユがあせってなにを言っているのかわからなかった。自分を取り戻したリクも二人のただならぬ気配に柵から出てきた。
ミユはやっと息をつぎ、
「漁師が隠してあった舟を見つけた」ミユがおびえていた。ミユの顔がひきつっていた。こんなにおびえたミユを見るのははじめてだった。
「男の人達が浜に上がってきて、舟を見つけて騒いでいるよ」
「ヤバいことになりそうだな」ゴリも動揺していた。
「カニとウサギは?」リクは冷静さを取り戻し、早口でミユにたずた。
「隠れて見張ってる、ねえー、どうする、どうする?」ミユがすがるように聞いてきた。
「リク、様子を見に行こう」とゴリがうながした。
リクは神社に隠してあった銛を急いで取ってきた。ミユはうり坊の傍でうずくまっているヨモギを抱きかかえていた。傍でヘソがただおろおろしていた。
銛を持って岬の突端へ走った。どうする、どうする、ミユの言葉が頭をかけめぐった。
木の枝が顔にぶつかってきた。頭をかがめ、ゴリの後を息を切らして走った。岬の突端にたどり着くと、茂みをかき分け、眼下の浜をうかがった。
波打ち際に小舟が四隻乗りつけていた。漁師の姿が小舟の傍に二、三人ほど確認できた。舟を隠した松林のほうにも人影が見えた。松の影に隠れ、人数ははっきりしないものの、五、六人近くはいそうだ。リクの銛の柄をにぎる手が汗ばんだ。
あたりを見まわしてもカニとウサギの姿は見当たらなかった。身をひそめているのか、もう天満宮のほうへ逃げ戻ったのだろうか。二人が心配だった。
漁師達に見つかるとどうなるのだろうか。流れ着いた小舟を放ったらかしにしておけば良かった。あれこれ考えても、今さら仕方のないことだった。
連中は小舟を見つけても、仲間が見つからず、殺されたと考えるだろう。仕返しにあい、この地と食料も奪われるだろう。
どうする、どうする、リクに決断をせまってきた。
目の前にゴリの頭があった。なぜかゴリの頭に目が引きつけられた。
頭がずきずきする。突然、あの時のことがよみがえってきた。
あの男の頭も目の前にあった。幼いリクが後ろから忍び寄っても、男は気づかない。リクは棒を振りかざした。確かに手応えがあった。あの男は血まみれの頭を抱えてうずくまった。恐ろしくなり走って逃げた。物陰に身を潜めた。一日程たってから、ふたたび母の姿を探し求め戻ってくると、男は消えていなくなっていた。リクは母が帰ってくるのを待った。いくら待っても、母は帰ってこなかった。リクは一人取り残された。母と男はどこに消えたのだろうか。
「カニ達があそこに」
ゴリが興奮してリクを振り返った。
ゴリは不思議なものを見るようにリクをジッと見た。リクは我に返り、よみがえりかけた記憶が中断された。
ゴリが指差した松林のはずれに目をやった。カニとウサギが身をかがめ、こちらのほうに逃げてくるのが見えた。浜で漁師達が大声で怒鳴りはじめた。二人は漁師達に見つかったらしい。
リクは銛の柄を強くにぎりしめた。二人を助けに行かなければ。
「オレは天満宮に帰って、ヨモギとミユを安全なところへ連れて行く!」
ゴリはリクの背中に言葉を投げつけた。リクももと来た道を走った。服が木の枝に引っかかり、裂けた。それでもリクは走った。
岬の途中にずっと昔に掘られたらしい大きな溝までくると、下の浜から草木をかきわけ上がってくる人の気配がした。
深い溝は木々に被われているものの、トンネルのような通路のようになっていた。あわてふためき二つの小さな影が溝を登ってきた。リクとゴリは溝の肩にへばりつくように身をひそめた。
溝をはい上がってきたのはカニとウサギだった。リクはほっとして、声をひそめて二人を呼んだ。二人を溝から引っぱり上げた。二人はしきりに後ろを気にしていた。下のほうで騒ぎ声が聞こえた。連中が追いかけてきている気配がする。ゴリは天満宮のほうへかけ出した。
天満宮のほうへ逃げ出そうとするカニとウサギをリクは引き止めた。リクは急いでまわりの石を集めた。カニとウサギも集めれるだけの石を集めると、もう一度身をひそめた。
大溝を何人かが、大声をあげながら登ってくる姿が見えた。カニがあわてて石を投げつけようとするのを止め、十分引きつけてから、いっせいに石を投げつけた。
深い溝から逃げ場のない漁師達は、壁にへばりつき、飛んでくる石をやり過ごした。石がなくなると、リクは銛を一番手前の男に向かって投げつけた。銛は木々の葉っぱをくぐり抜け、先頭の男に向かって飛んで行った。
後ろを見ず、三人は一目散に逃げた。後ろで怒鳴り声が聞こえる。反対側の大溝に三人は飛び込んで、天満宮から別の方向へ逃げ出した。
急坂を三人で滑り落ちるように降りて行った。なにがなんでも天満宮にいるミユ達から連中を引き離さなければ。必死で降りた。
中腹あたりで溝はなくなり、行き場を失った。逃げ道はないかとあたりを探った。小さなケモノ道が斜め下方向に続いていた。背をかがめ、ケモノ道に突っ込んで行った。はいつくばるように、先へ先へ足を速めた。
ケモノ道はさらに小さくなり、行き止まりになった。それでも必死で茂みをかき分け、とにかく前へ前へと逃げた。一瞬体が宙に浮いたかと思ったら地面がなかった。
崖から転げ落ちた。必死になにかにつかまろうとしたが、そのまま磯に転げ落ちた。怪我はしていないようだった。体を起こすと磯を伝い、漁師達が舟を着けた浜とは逆のほうの浜に出た。砂に足下を取られながら、一目散に砂浜から松林へと向かった。カニが遅れはじめた。足を引きずりながらリクの後についてきた。ウサギも心配そうに立ち止まった。カニは顔を歪めながら、追いついてきた。崖から落ちた際に足を痛めたらしい。
「先に行ってくれ!」
リクはためらった。松林に逃げ込めば身を隠せる。カニに肩を貸し、また走りはじめた。カニを松林に引きずり、身をひそめた。カニの足は赤くはれ始めていた。相当痛そうだが、カニは我慢しているのか、あまりの緊張のためか、痛みを感じていないのかはわからなかった。足の骨が折れているのかもしれない。
連中に追われて恐怖を感じた。体がふるえている。一時的に天満宮から遠ざけたとしても、天満宮が見つかるのは時間の問題だろう。そしてすべて失うかもしれない。ゴリはヨモギとミユを連れて逃げのびただろうか。
襲われても誰も助けてくれない。守ってくれない。いつも奪われ、略奪されるのは弱いものだ。自分達だって自分達より、さらに弱い生き物の命を奪って生きながらえてきた。連中は情け容赦なく、自分達から奪えるものはすべて奪うだろう。
松林に隠れているだけで、どうすれば良いのかわからなかった。連中にまた出会うのは恐ろしかった。しかしおびえてばかりもいられなかった。とにかく天満宮の様子を見てくることにした。不安がるウサギとカニを残し、松林を出て行った。
岬のつけ根からシダをかき分け、尾根に出た。天満宮の近くで、身をひそめた。あたりをうかがっても人の気配はなかった。ミユ達の姿は見当たらなかった。無事に逃げれたのだろうか。
体をかがめ、物陰に身を隠しながら、神社に忍び寄った。神社のねぐらをのぞき込んでみた。
やはりミユの姿はなかった。産小屋にも行ってみた。そこにもヨモギもミユもいなかった。もうどこかに逃げのびたようだ。神社のねぐらに、弓矢を取りに戻った。
ねぐらから出ようとした時、外で物音が聞こえた。とっさに入口に身をひそめた。用心して外をのぞくと、うり坊がリクのほうに向かってきていた。うり坊の囲いは戸が開かれたままだった。鼻ヅラで地面を掘り起こしていた。死んだわけではなかった。リクが姿を現すと、不審そうにリクのほうをうかがっていた。リクに気づき威嚇しはじめた。リクになぐられたことを覚えているのだろう。
うり坊は急に逃げはじめた。
「おい!」突然、背後から怒鳴り声がした。
銛を持った男がせまってきていた。弓矢をかまえる暇もなく、あわてて逃げた。
どこをどう逃げたのかもわからず、リクは走った。しばらく逃げてから後ろを振り返った。漁師は途中であきらめたのか、追ってくる気配はなかった。天満宮も見つかってしまった。食料もねぐらもすべて失ってしまうだろう。
松林のもとの場所近くまでくると、カニの悲鳴が聞こえた。それに混じって大人の怒鳴り声も聞こえた。
弓矢をかまえて忍び寄った。大きな松の幹に身を隠し、騒ぎのほうをうかがった。カニとウサギが大人達につかまっていた。二人のまわりを漁師三人が取り囲んでいた。漁師達は手に銛、櫂を持っていた。若い漁師が櫂でカニとウサギをなぐろうとしている。一番年長らしい白いひげを蓄えた漁師が止めに入っていた。二人は手ひどくなぐられたらしい。若い漁師がカニのえり首をつかみ引きずっている。
怒りがわき上がってきた。リクの心臓は大きく鼓動した。松から飛び出し、弓矢を若い漁師に放った。弓矢はそれて地面に落ちた。若い漁師はカニを放り出し、リクに突進してきた。リクは身をひるがえし、松林を逃げた。つかまればひどい目にあわされる。漁師は喚きながら、追いかけてきた。
生まれてはじめて死にそうになるまで走った。本能はリクに逃げろと命令していた。がむしゃらに走った。
体ががくがくふるえた。ふくらはぎが引きつりそうだった。体は立ち止まれ、休めと悲鳴を上げていた。あちらこちらに体をぶつけた。痛みを感じる暇はなかった。自分が激しく呼吸する音しか聞こえなかった。頭がボーッとしてフラめいた。
あの時も男の頭を棒でなぐりつけた後、怒りが恐怖に変わった。リクは恐ろしくなり、幼い足で逃げた。閉じ込められていた記憶が瞬時に後から後からよみがえってきた。リクは恐怖にとらわれた。
まわりの景色がぼやけた。それでもよろめきながら走った。何度も何度も転んでは立ち上がり、走った。
水たまりの中に頭から突っ込んだ。かすむ意識の中で、ミユ、カニ、ウサギ、ヘソの顔がきらめく水たまりの光の中に見えた。
(続く)
前半部分はこれで終了です。2部からは舞台が弥生的な村になります。ありがとうございます。
続きはブログでは未公開です。
青の欠片【電子書籍】[ 前田 橅] 価格:216円 (2021/9/5時点)楽天で購入 |