青の欠片 4、5
<親に捨てられた子供達は廃墟の中で自分たちの力で生きてきた。文明が一度崩壊し、縄文時代、弥生時代のような先祖帰りした社会の中で子供達は自分たちで学び困難に立ち向かった。 考古学を題材にした子供達のサバイバル物語>
四 コメのムラへ
鉄板の巨大な箱は、枯れかかった森の中に、埋もれるように溶けこんでいた。
鉄板が腐り、大きな穴が開き、巨大な空洞になっていた。鉄板には海の牡蠣殻がこびりついていた。昔の大きな船だった。船がどうして森にあるのか、リクにはわからなかった。
一人森をさまよい、食い物を探した。小さな動物が春になり、あちらこちらで飛びはねていた。冬芽が芽吹き、日をあびようと真新しい緑の葉が開きかけていた。弓矢で兎、たぬき、いたちを追いかけた。火を起こし、肉をあぶり、くらいついた。
満ち足り、一人で心地よい寝床で横になった。近くでトカゲが落ち葉の上をカサコソと音を立てていた。幼い頃はトカゲも食料だった。今はトカゲなんかには見向きもしなくなった。釣針でツグミを捕る仕かけも作った。獲物は船に持ち帰り、薫製にした。自分一人では食いきれないほどの食料を手にできるようになっていた。
昼間は気をまぎらわせることができたものの、日が沈むと一人で焚火の炎を見るだけだった。どうすることもできなかった。さびしさで胸がしめつけられた。
ここに逃げのびてきてから、誰にも会うことはなかった。皆どうしているのだろうか。逃げのびて生きているのだろうか。心配だった。
ある日猟から帰ると、船の中に人影が見えた。リクはあわてて木陰に身を隠した。人影は船の中をうろうろしていた。漁師が追ってきたのではないかと恐れたものの、まさかここまでは追ってこないだろう。それでも用心をした。気づかれないようにこっそり船に近づいた。大人ではなかった。男の子がぶら下げてあった干し肉を見つけ、盗ろうとしていた。
リクは突進した。男の子はびっくりして、逃げようとしたが、隅に追いつめた。脇をすり抜けようとする男の子を捕まえた。男の子はもがき暴れたが、首に腕を回し押さえ込んだ。じたばた暴れるので、一発顔を殴った。男の子は観念したのかおとなしくなった。
「人の食い物盗みやがって」
リクは離してやり、睨みつけた。男の子は黙ってうつむいていた。
「一人か?仲間はいないのか」
男の子はゆっくり顔を上げ、睨み返してきた。気の強そうな目つきをしていた。
「一人で逃げてきた」
「逃げてきた?」
男の子の腹が鳴った。男の子は恥ずかしそうにうつむいた。リクは軽く笑うと吊るしてあった干し肉を差し出した。男の子はうつむいたままだった。
「食えよ」
男の子は上目遣いにリクを見た。干し肉をひったくるように取ると、がっついて食った。ろくに食い物にありつけなかったのだろう。
「名前は?」
「トビ」とぶっきらぼうに答えた。
トビは自分のムラが襲われ、両親をなくしたらしい。トビは囚われ、コメのムラで幼いにも関わらず、働かされた。
トビは特に行く当てがあるわけでもなさそうで、リクと一緒に暮らし始めた。リクもうれしかった。今まで一人ぽっちで過ごしていたが、一緒に火を囲み夜を過ごした。昼間は二人で猟に出かけた。トビは余り猟の経験がないらしく、リクの後をついてきた。今まで生きてこられたのが不思議だった。
暖かい日、沢で身を清めた。沢の水はまだ冷たかった。トビと二人で水を掛けあってふざけた。顔を洗う時、鼻の下にやわらかなひげが生えていることに気づいた。頬にもうっすらとひげが生えはじめていた。水をすくった手が一段と大きくなっていた。ほっそりした手から無骨な手に変わろうとしていた。指にも毛が生えはじめていた。自分で気づかないうちに、体がだんだん大人になりつつあった。
トビの体はやせ細り、あちらこちらに痣と傷跡があった。つらい生活をしてきたのだろう。
トビは日がたつにしたがい、そわそわし始めた。落ち着きがなく、あたりをうろうろしているかと思えば、立ち止まって物思いにふけっていた。笑みも消えてしまった。
あたりがうす暗くなり、火を起こし川魚を焼いた。塩気がなく、頼りない味だった。
「明日になったら、帰る」トビは思いつめたように、自分で自分の言葉にうなずいた。
「また捕まってしまうぞ」
「それでも帰る」
「もっとひどい目にあわされるぞ」
「わかっている」
「無茶だ」
トビは一人決心したようにうなずいていた。せっかく逃げれたのに、またもとのムラへ帰りたがるのは、なぜだろう。
「ムラになにかあるのか?」
「弟がいる」
「弟も捕まっているのか」
「自分だけ逃げるわけにはいかないよ」
トビは寝つかれないようで何度も寝返りをうっていた。次の日、目が覚めると傍らにトビの姿はなかった。
またしても一人になった。リクは棒切れを拾い、八つあたりして、あたりかまわず振りまわした。
自分より小さな子供が、恐ろしい目にあうことがわかりきっているのに、またムラに帰る気持ちがわからなかった。そんな勇気がどこからわき出てくるのだろうか。ハルはいたたまれず、棒を投げ捨て、トビの後を追った。
森を抜け出すと、大きな川に行きあたった。川幅は広く、容易には渡れそうもなかった。遠くに山並みが見えた。そこがトビ達の住んでいた台地なのだろう。
堤防が壊れ、川の流れは解き放された生き物のように、気ままに蛇行していた。あちらこちらに湿地ができ、水鳥が長い足を忍ばせて獲物を狙っていた。
川沿いを半日近く歩いた。川幅は徐々に狭くなり、山並みが近づいてきた。幅広い道路の名残りがあり、橋がかかっていた。壊れかかった橋の先に、道が山に向かってのびていた。
トビは橋のたもとの大木の下で休んでいた。トビはびっくりして立ち上がった。
「リク、どうして?」
「一人で退屈しているより、トビにつきあうよ」
トビは笑ってうなずいた。
二人は橋を渡り、先に進んだ。ススキが道路のアスファルトを突き破り、生い茂っていた。木の枝が道路の両脇から、しなだれかかっていた。それでも道路は生きているらしく、先に進むことができた。人がいまだに通っている気配がした。じゃまな枝葉が切り落とされていた。つづら折りの山道を登った。ところどころ山がくずれ、道路に土砂が被いかぶさっていた。
ジグザグ道を登りきると展望が開けた。眼下に平野が広がっていた。平野の先には海岸線がかすんで見えた。はるか遠くに岬が見えた。方向からして天満宮かもしれなかった。
あたりから風に乗り、かすかな匂いがただよってきた。不思議な匂いだった。ほんわかした暖かいような匂いだった。遠くに煙が幾筋か立ち登っていた。
「コメを炊いているな」
「コメ?」リクはびっくりした。
二人は匂いに誘われるように先に進んだ。あたり一面が平坦地となり、湿地のように水が張られていた。水の中から規則正しく、小さな株が顔をのぞかせていた。湿地を取り巻くように溝が張りめぐらされていた。リクは湿地をのぞき込んだ。泥の中に足跡がいくつもついていた。足跡は小さな緑の株を避けていた。湿地も緑の株も人の手によるものだった。
トビがコメを作る田んぼだと教えてくれた。リクは一度食べたことのある白いコメを思い出した。これが幻の食料か、これで多くの人間を養えるのかと感心した。
トビの道案内で、見通しの良い田んぼを避け、林を突き進んだ。グルとまわり、小高い丘に出た。カシの巨木に登ると、やっとあたりを見渡すことができた。四方を山に囲まれた平野が見渡せた。まわりの山々は木々が少なく、あちらこちらに褐色の山肌をのぞかせていた。
平野一面に田んぼが広がっていた。水路が縦横に張りめぐらされ、水路から田んぼに水が引かれていた。はじめて見る光景にリクは息を飲んだ。田んぼは海のように光を反射していた。整然とした風景を初めて見た。平野には木がほとんど生えておらず、田んぼと畑で占められていた。山際には川が流れており、そこから水路に水を引いているのがわかった。
「あれがコメのムラだ」
「すげーな」
大きな溝に囲まれたムラが見えた。丸太杭の高い塀を巡らせ、簡単に入れそうにもなかった。高い見張り台も見える。敵を警戒しているのだろう。塀の中には、三十軒ほどのイエが寄りそうように建っていた。イエイエの中央には、ひと回り大きな建物が建っているのが遠目にもわかった。
「あの一番大きな建物が宮殿だ。ミコが住んでいるんだ」
「どうやって弟を助けるんだ」
ムラに近づくことさえむつかしいよう思えた。トビにも良い考えがあるようには思えなかった。
遠目には、のどかなムラに見える。本当に戦いをくり返し、あちらこちらから人をつかまえ、奴隷にしているようには見えなかった。見た目とはまったく違っているようだ。
「とにかく夜まで待とう」とカシの木の上でのんびりかまえるしかなかった。
夕方近くまで、トビはイライラして待っていた。太陽はなかなか沈まなかった。
やっと日が沈むと、夕空に欠けた月が出てきた。そのすぐ上に明るい星がまたたいていた。かすめるようにコウモリが何匹も飛びかい始めた。ムラを囲っている山の端の稜線がうすぼんやりと見えた。田んぼはかすかな光を反射しており、カエルの鳴き声が静けさの中に、あちらこちらから聞こえた。ムラは火を焚いているのか、まわりよりもほの明るかった。宮殿はかがり火で遠目にもくっきり見えた。
トビは待ちかね、木から降りた。畦道を身をかがめて前に進んだ。カエルが、二人の気配で鳴き止んだ。リク達が通り過ぎ、しばらくすると警戒心をとき、背後でふたたび鳴いていた。
ムラの空堀までくると、丸太の塀はリクの背丈の二倍ほどはありそうだった。大門は扉をかたく閉ざし、開いていたとしても見張りがついていそうで、まともに正面から入れそうもなかった。塀をよじ登り、忍び込むしかなかった。
近くの畑の農作業小屋に忍びこみ、使えるものを物色した。小屋には農具が乱雑に置いてあった。壁にぶら下げていた綱を盗み出した。
投げ縄を作り、手がすべらないように、ところどころに縄をしばってコブを数カ所作った。リクの肩にトビが上がり、何度も失敗しながら、塀の丸太の先端に投げ縄を引っかけた。トビが素早い身のこなしで、よじ登るとリクも後に続いた。綱を塀の内側に下ろしムラの中に下りた。
トビは体をかがめ、小走りに一軒の粗末な家に向かった。家の中には何人か寝ているようだった。子供ばかりらしく、トビは一人一人を確認した。奥の壁際に寝ている子供を揺り動かした。小声で「ヒワ」と弟の名前を呼んだ。トビはヒワを抱え起こした。ヒワは起こされてむずかっていた。「離してくれ」とヒワの不機嫌な声がした。リクは入り口で見張っていた。誰かがこちらに近づいてきた。リクは「早くしろ」とトビに声をかけた。
「誰だ」と男がいぶかしげに近寄ってきた。
トビとリクは家から飛び出し、逃げ出した。イヌが追いかけてきた。どこかに隠れようとしたが、逃げ場所はなかった。息を切らして走るだけ走った。イヌに追いつかれる前に、かろうじて目の前に見えた梯子につかまり上に逃れた。
梯子は見張り台の塔だった。イヌが梯子の下でリク達に吠えた。やっと見張り台の上まで登りきると、今度は槍が待ち受けていた。
リクは顔の前に槍を突きつけれ、身がすくんでしまった。
「早く上がれよ!」後ろのトビがせかす。
「おまえら誰だ!」見張り台の男が怒鳴った。
あわててまた下りた。下にはイヌが待ち受けていた。リクもトビも足下に食らいついてくるイヌをけちらし、走った。騒ぎを聞きつけた男達が二人を追いかけてきた。宮殿の前まで追いつめられ、逃げ場を失った。松明の明かりにリクとトビは照らし出された。男達が槍をかまえ、リク達を取り囲んだ。
「子供じゃないか」と誰かの声がした。
「逃げた子供だ、もう一人は見かけない顔だな」
大柄な男が、リク達に歩み寄ってきた。ヒゲを生やしたいかつい男だった。リクはおびえた。トビとリクをつかまえようと、他の男達も群がってきた。トビは身がまえ、男達をにらんだ。
若い男が用心して一歩前に踏み出し、棒でトビをなぐりつけた。何度も打ちすえた。トビは地面に倒れ込み、今度は足げりにされた。男達の手がリクにも伸びてきた。首根っこをつかまれ、顔を地面に押しつけられた。脇腹をけられ、息が止まった。大人の凶暴さをまともに食らった。
地面に倒れ伏したリクに、一匹の黒イヌが近寄ってきた。匂いをかぎ、リクの顔をなめ、悲しそうになき声をもらした。ミユ達と海辺で暮らしていた時に見かけたイヌだった。生きのびていたのだ。
「ダンオウ!」と宮殿から女の呼ぶ声がした。若い女の張りのある声だった。ダンオウと呼ばれたヒゲ面の大男が、宮殿を振り返った。まわりの男達も女の声を聞こうと静まり返った。
リクとトビは男達に髪をつかまれ、顔を上げさせられた。一段高い宮殿の縁側にキツネのような顔の女が立っていた。
「殺さずに、鎖でつないでおきなさい」とダンオウに命令していた。
一人の年配の男が、ふらふらとトビに近づいてきた。トビを哀れむように笑うと、今度はリクのほうに近づいてきた。かがり火に照らし出された顔は赤茶け、定まらない目で不気味に笑った。男の吐く息が臭く、リクは顔をそむけた。
リクを押さえ込んでいた若い男が、年配の男の肩をつかんでどかした。年配の男は声を立てて笑いながら、ふらふらしながら後ずさりした。
足に鎖がかけられた。冷たい感触の鎖がリクの足首に食い込んだ。リク達は男達に引っ立てられ、柵で囲われた檻の中に手荒く投げ込まれた。恐怖と不安に襲われた。これからどうなるのだろうか、どんな目にあわされるのだろうか。じとじとした地面から体を起こし、リクはあたりの様子をうかがった。
イエイエの戸口から明かりがもれていた。中から大声や笑い声が聞こえる。リク達のことはすっかり忘れたかのように、一日の終わり楽しんでいるようだった。
「連中、酒を飲んでご機嫌だな」と隣でうなだれていたトビがいまいましげにつぶやいた。
「酒?」
「飲むと普通じゃなくなる、普段大人しい人間が陽気になったり、あばれたりしはじめる、次の日にはそんなことはすっかり忘れている」
「飲んだことあるのか」
「あるわけない、大事なコメで作っているんだ、オレ達にはろくに食い物の与えないくせに、自分たちはコメの酒を飲んでいる、ひどいやつらだ」
「ミコは許しているのか」
「ああ、連中にも楽しみが必要なんだろう、働いてばかりじゃ、うっぷんがたまって、気性の荒い連中がなにをしはじめるかわからないからな」
薄暗がりの中、松明が近づいてきた。男が檻の外から、うつろな目で中をうかがっていた。臭い息をしていた男だった。口がだらしなく開ていた。リクは酒を飲むとこうなるのかと思った。
「ガキ、出てこい!」と舌のまわらないしゃべり方で怒鳴った。
トビは身がまえた。
「さっさと出てきやがれ!」男は吠えるように喚いた。男は檻を開け入ってくると、トビの首根っこをつかみ引きずり出した。
リクはおびえてどうすることもできなかった。
「逃げたばつを与えてやる!」
トビは引きずられ、中央の広場まで連れて行かれた。まわりのイエからなにごとかとムラ人が顔をのぞかせた。
酔っぱらった男は、松明でトビの背中に火をつけた。トビはのたうち、あわてて背中の火を払おうとあばれた。
酔っぱらいは、けたたましく笑っていた。宮殿の軒下に現れたキツネ顔の女も笑っていた。リクはゾッとし、鳥肌がたった。
五 囚われの身
翌朝、朝日がのぼる前から、ムラは忙しく動きはじめていた。
けたたましい長く尾を引く鳴き声が聞こえた。喉をしぼり上げるような鳥の鳴き声だった。聞いたこともない鳴き声だった。なにかの合図のような鳴き声が、うっすらと明けはじめた空にひびきわたった。
朝日は一番最初に見張り台にあたりはじめた。塀よりさらに高く、大きな柱がまっすぐ空にそびえていた。上の端は人一人くらいが立てるようになっていた。筒状の鐘がぶら下がっており、にぶく輝いていた。おそらく敵が攻めてきた時に、叩いてムラに知らせるものだろう。
ムラの中心の宮殿は、まわりのイエの十倍はあろうかと思われるほどの大きさだった。正面の軒の柱は大の男がひと抱えするほどの太さがあった。巨大なまっすぐな柱が何本も立ち、大きな屋根を支えていた。屋根は反り返り、茅でふかれていた。朝日があたるとその大きさは際立っていた。
宮殿の前の広場の両脇には、食料貯蔵の床の高い倉庫が取り囲み、さらにその外側をイエイエがぐるりと建っていた。
宮殿の近くの十軒ほどのイエは、ひとまわり大きく、おそらく十人程度の人間が十分寝起きできるだけの大きさだった。さらにその外側を取りまくように、ひとまわり小さな十軒ほどのイエが建ち並んでいた。
檻の近くに粗末なイエも五軒ほどあった。イエと言うより小屋と言ったほうが良いのかもしれない。
大きなイエとイエの間は十分な間隔を置いて建っているものの、粗末な小屋は密集していた。簡単な柵で囲われ、他のイエとは仕切られていた。
粗末な小屋から出てくる人間は、薄汚れた茶色の薄汚れた服を身につけていた。それもボロ切れのような服だった。両足は太い荒縄でつながれていた。荒縄をつけたまま立ち働いていた。顔には正気がなかった。打ちのめされ、傷ついた人間ばかりだった。
大きなイエに住んでいる人間達は、白色か紺色の服を着ていた。おそらく奴隷と区別するために服の色を違えているらしかった。
イエの屋根から煙がのぼりはじめていた。しばらくするとうまそうな匂いがただよいはじめた。
昨夜の酒臭い男が檻にやってきた。男の後ろに黒イヌがついてきた。黒イヌはリクを見上げてしっぽを振っていた。リクが檻の隙間から手を差し出すと舌でなめてきた。しっぽを振り切れんばかりに振った。
男は足下のイヌを軽く蹴飛ばした。イヌはすごすごと後ろに下がった。
男は檻の入口にからめてあった鎖を解き、丸太をどかした。
昨夜はうつろな目をしていたものの、目には力があった。昨夜ほど臭くなかった。
「仕事の分担が決まるまでここで待っていろ、テンがくるから命令にしたがえ」とリクを値踏みするように、にらみつけた。
「逃げてもムダだぞ」とリクに言い残して離れて行った。
檻は開けっ放しになっていた。簡単に逃げれそうで、逆にリクはとまどった。
油断して檻を開けているわけではなく、逃げれるわけがないと言う意味なのだろう。
確かに今逃げ出そうとしても、足の鎖でもたもたして、すぐにつかまってしまう。逃げてもムダと言うことか。
入口を開けっ放しにしておいても、うり坊がどこへも逃げないのと同じだった。野生の生き物なのに、檻が自分の居場所と思い込んでいる。うり坊なら逃げ出すこと自体思いつきもしないだろうが。
トビのことが気にかかった。昨夜、細身の若い女がトビに水をかけ、背中の火を消してやっていた。若い女がトビを老婆の小屋に運び込んだ。リクはどうすることもできず、檻から様子を見守っていた。
あたりをうかがい、檻から恐る恐る出て、老婆の小屋をのぞいてみた。トビはうつ伏せに寝ていた。茶色の服を着たヨネ婆が、トビの背中の火傷になにかを塗って手当をしていた。
リクが顔をのぞかせると、ヨネ婆は手を止め、
「おや、新顔だね」 となんの屈託もなく笑いかけてきた。リクはぺこりと頭を下げた。
「あいつらいつか殺してやる」とトビは強がりを言ったものの、顔は涙でくしゃくしゃになっていた。
「バカなこと言わない、うらんでも仕方ないさ」とヨネ婆がなだめた。
ヨネ婆の小屋の入口に人影が入ってきた。あたりをうかがうように入ってきたのは子供だった。紺色の服を着ていた。
「ヒワ、お兄ちゃんがひどい目にあわされたんだよ、でも心配しなくても大丈夫だからね」とヨネ婆が優しげに声をかけた。
これがトビの弟か、ヒワはトビより三、四歳ほど年下に見えた。顔はトビに似ていているものの、なにか表情が違っていた。ヒワはトビの脇に立つと背中の火傷に目をやった。表情がゆっくりとゆるんだ。リクはヒワが悲しそうな顔になるかと見守っていた。
「自業自得だよ」とヒワは子供とは思えない言葉を吐き、うっすら笑いを浮かべた。
「うるせーな」とトビはうっとうしげに言い返した。
「つぎは殺されちゃうね」
トビは鎖でつながれた足で、けろうとした。けりかけて、 「痛て」とまたうつ伏せに寝てしまった。ヒワはトビから飛びのき、痛がっているトビを見下ろし、バカにしたように笑いを浮かべた。
「ヒワ、いじわる言うもんじゃないよ」とヨネ婆がたしなめた。
「ミコ様を裏切って逃げるやつなんか、お兄ちゃんでも殺されてもおかしくないよ」
「仕事の手伝いに行っておいで」とヨネ婆はやんわりとヒワを外に連れ出した。ヨネ婆はちょっと困ったね、と言いたげな顔でリクを振り返った。
リクは不思議に思った。トビはなんのために弟を助けにきたのだろう。ヒワは兄が殺されても、本当に平気なのだろうか。
「ヒワは小さい頃、ここにさらわれてきたから、ここが自分のムラと思っているんだよ、ヒワにとってはこのムラがすべてだからね」
「でも、トビのことをちゃんとお兄ちゃんだとわかってんだろう」
「ああ、だからなんで、お兄ちゃんはここから逃げようとするのか、ミコを嫌っているのかわからずに、小さい子供なりに心配してるんだろうね、お兄ちゃんも大事だけど、世界で一番大事なえらい人は、ミコだと思い込まされているんだよ」
「トビは弟と一緒に逃げたがっている、一度逃げれたけど、弟のことが心配でここに舞い戻ってきたんだ」
「この子はそう言う子だよ、弟のことが心配でたまらないんだろう、たった一人の家族だからね、お父さんにそっくりだよ。トビのお父さんは立派な人だった、トビは自分の父親のことをしっかり覚えているんだろうね、ヒワは小さかったから、なにも知らないんだけど」とヨネ婆はさびしげに言った。
小屋は粗末で、粘土で作った造りつけの𥧄が一つあるきりだった。その上に土鍋が乗せてあった。
ヨネ婆は、土鍋から食いものを杓子ですくい、碗に入れるとリクに差し出した。
リクは碗をのぞいた。汁の中に白い粒とさらに小さな茶色っぽい粒が、底にふやけたようにわずかに入っていた。鼻を近づけて匂いをかいでみた。やわらかく、優しいような匂いが湯気の中にただよっていた。
「お粥だよ」とヨネ婆は歯の抜けた口元に笑みを浮かべた。
「おコメが少しと、アワとヒエが入っている、おいしいから食べてごらん」
リクは碗を両手で包み、のどに流し込んだ。やわらかいコメ粒が、のどにからまるように通り過ぎた。一口でお粥を飲み込んだ。碗の底にたまっている小さな粒も人差し指でさらえ、すすり上げた。
リクは感触を楽しむように口をぬぐい、碗を返した。これだけでは腹が張りそうもなかった。
「おいしいかい」ヨネ婆は口元にしわを寄せ、リクを見守っていた。リクはこっくりうなずいた。
トビにもお粥の残りを差し出した。
「また逃げるんだろう、体力をつけておきな」
「うるせえな、ばばあ、ほっといてくれ」
ヨネ婆はトビを見下ろして笑っていた。
リク達を痛めつけた若い男が入ってきた。リクはビックとした。
「テンがきたよ、さあー起きて」とヨネ婆はトビをうながした。
「さっさと起きろ!」とテンは乱暴に怒鳴りつけた。
「これを着ろ、今度逃げたら命はないと思えよ」とテンは二人に茶色の服を押しつけた。
服は汚れ、臭く、血らしきものがしみついていた。誰かが着ていたものを、そのまま持ってきたのだろう。頭からスッポリ被るようになっていた。
「おまえら二人は、当分ブタとヤギの世話だ」
テンに追い立てられるように、ブタ小屋に連れて行かれた。行く途中、リクはあたりをうかがった。
広場でダンオウが指図していた。男達は数人にわかれ、農具を担いで出かけようとしている者達、茶色の服を着た人間を追い立てている者もいた。赤ん坊をだっこした女達、母親にまとわりついている小さな子供達もいた。
そのまわりをやせたイヌが、ところかまわずうろついていた。黒イヌがリクを見つけ、しっぽを振りながら近寄ってきた。テンがうっとうしげに追っ払った。
ムラの裏手にまわると、低い屋根の小屋がいくつか建っていた。糞尿の匂いが、鼻をついた。動物のなき声がうるさかった。見たこともない生き物だった。トビに一つ一つたずねた。小屋をのぞきながら歩いていると、後ろからついてきたテンが、いらだたしげ二人を追い立てた。
朝早く鳴いていた鶏小屋で、まだ幼さを残した女が卵をかごに集めていた。昨夜、トビの背中の火を消してあげていた若い女だった。若い女は、リクとトビが通り過ぎるのを、腰をのばして見守っていた。
ブタを見るのもはじめてだった。イノシシに似ているものの、体が白く、イノシシのような牙もなく、獰猛さは感じなかった。鼻先がつぶれ、平べったく大きな鼻穴が目立っていた。最初はあわてて我先に逃げていたものの、すぐに鼻を鳴らしてリク達に近寄ってきた。別のブタ小屋には、子連れのブタが飼われていた。他の巨大なブタに押しつぶされないように、別にされていた。
二人はテンの命令で、ブタ小屋の掃除をした。リクは大きなブタを怖れたものの、トビは平気で小屋に入ると、手慣れた手つきで糞を集めた。地面のあちらこちらに糞をまき散らしていた。体を地面にこすりつけるのか、糞でまだら模様になっていた。虻と蠅がブタにまとわりつき、リクの顔にもしつこくたかってきた。
リクはカニ達とイノブタを捕まえる時には命がけだったが、ブタはこっけいな顔つきでリク達の後をつきまとってきた。
糞を集め終えると、外に運び出し、山盛りにしてあった糞の上に投げ上げた。
トビが、かごにすくい取った糞を投げ上げようとすると、テンが後ろから蹴った。トビは頭から糞に倒れ込んだ。リクはテンをにらみつけた。トビを助け起こそうとすると、リクも蹴飛ばされた。後ろでテンが笑い転げていた。なま暖かい糞の中から立ち上がると、リクはどうすることもできず、惨めに自分の匂いをかいだ。
卵を集めていた女が通りかかり、小走りに近寄ってきた。女はテンをにらみつけていた。
「カスミ、こいつらブタ野郎だ、もっとひどい目にあわしてやってもいいんだがな、子供だから殺さないで、これぐらいで勘弁してやってんだ」
テンはにやけていた。なれなれしくカスミに近寄り、肩に手をやろうとした。カスミはうっとうしげに手を払いのけた。カスミは手振りで怒りを表している。テンは邪険にされてもにやにやしていた。
カスミは、リクとトビの汚れた手を引っぱり、二人をヨネ婆のところに黙って連れていった。
「あれまアー」とヨネ婆は碗、土鍋を洗っていた手を止め、あっけにとられていた。
カスミが怒った顔つきで、リクを突くような手振りをした。ヨネ婆は、カスミの手振りで言おうとすることがわかるらしかった。
カスミが大げさな手振りをするのは、しゃべれないためだとやっと気づいた。カスミの顔をしげしげと見た。カスミは一瞬困ったような顔をした後、リクに笑いかけた。カスミは自分の口を指差し、首を振った。あたしは口が利けないのよと言っているらしい。
炊事小屋の隣に深く掘った穴の底に水がたまっているらしく、ヨネ婆が木の桶を投げ込むとバッシャンと水の音がした。綱で桶を引き上げた。リクとトビは頭から水をあびせかけられた。水は冷たく、リクはふるえ上がった。何杯も水をかけられ、匂いは少しは消えた。
「奴隷の連中は臭いって言われるから、よく洗っときな」とリクの服を引きはがした。
リクは自分も奴隷になってしまったのかと呆然とした。
「ズボンも脱ぎな」とヨネ婆が声をかけた。
「奴隷のくせに、 なに恥ずかしがってんだい」とヨネ婆はためらっているリクを笑いながらせかした。カスミも人がしゃべるのは聞き取れるらしく、笑っていた。ヨネ婆がボレ切れのような服を洗ってくれた。
足の鎖がこすれ、赤くはれていた。カスミが自分の小屋から布切れを持ってきて、くるぶしに巻いてくれた。鎖が直接足に当たらず、少しは痛みがやわらいだ。
カスミを呼んでいる声が聞こえた。宮殿の正面のひさしの下に、昨夜の女が立っていた。甲高いすき通る声で 「水を持ってきておくれ」と命令していた。普通の人間のように働いている格好ではなかった。足下まで隠れるさらさらした白い服を身につけていた。長い髪を赤い布でしばり、たばねていた。まわりの泥臭い人間と明らかに違っていた。
カスミは傍に置いてあった卵のかごを抱え、女のところにかけ寄った。卵のかごを渡し、代わりに器を受け取ると、大きなイエの水汲み場から水を運んで行った。
リクはあれは誰かと、ヨネ婆にたずねた。ヨネ婆は声をひそめ、 「キツネだよ」と言った。
キツネは、リクとトビをつり上がった目でじっと見ていた。キツネの姿が宮殿の中に消えると、ヨネ婆は 「ミコ様の使いだ、ダンオウにまで命令して、ミコ様気どりのずるかしこい、嫌な女だよ」とさげすんでいた。
「ミコ様はどんな人なんだ」
「あたしと同じ婆さんだよ、あたしと違うところがあるとすれば、このムラのまじない師のおババだ。ミコが祭り事を取り仕切り、ダンオウがこのムラを実際には動かしている。でもしばらくミコの姿は見たことないね、ミコに代わってキツネが祭り事をしているけどね」とヨネ婆は苦々しげに言った。
「あんた達、まだ仕事があるんだろう、ヤギの世話もしなければ、早く行かないとまたテンにいじめられるよ」
リクとトビはまだ乾いていない服を着て、ブタ小屋へ鎖を引きずりながら向かった。一軒のイエの前を通り過ぎる時、軒下に動物の頭骨がぶら下げているのが目についた。長い棒に刺した大きな頭骨と、ひとまわり小さな頭骨だった。二つの白い頭骨は異様だった。
「ブタとイヌだ」
「イヌ?」
「まじないだ、食った後軒下にぶら下げて、また食べれますようにと、お願いするんだ」
「イヌも食うのか?」
「イヌは敵がきたら教えてくれるし、食料にもなる。ブタの肉が手に入らない時には、シカとかイノシシもつかまえに行く。それでも肉が手に入らない時にはイヌを食う」
リクはイヌが食料になるとは、考えたこともなかった。人なっこいイヌなら、簡単にだますことができる。イヌもしっぽ振って、親しげに人間に近づき、まさか食われるとは思いもしないだろう。敵の来襲を教え、狩りにも協力している。人間を信頼しきっている。が、しょせんイヌはイヌでしかないのだろう。飢饉の時には食料でしかないのかもしれない。
「生きた保存食だな」とトビがうっすら笑った。リク達の飼っていたイノブタもそうだった。リク達を兄弟のように思っていても、人間はそうは思ってはいない。人間は自分が生きのびるために、非道にもなれる。
二人はヤギの世話もした。オスヤギは二本の角が生えていた。後ろに大きく曲がった角は怖そうに見えたものの、実際は大人しい生き物だった。なにを考えているのか、わからないような目つきだった。あごひげは年老いたかしこい人間にも見えた。メスヤギは背骨が浮き出ていたものの、腹がふくらみ大きな乳房がたれ下がっていた。
後から入ってきたカスミが、ヤギから乳をしぼり、キツネの元に運んだ。ニワトリの卵とヤギの乳は、宮殿の奥に住んでいるミコだけに差し出された。病人に特別与えられる以外は、他の者は口にすることはないらしい。
ヤギの世話が終わると、もっとつらい仕事が待っていた。
人間の糞尿を桶に入れ、外の畑まで運んだ。ムラの隅に人一人が入れる程度の小屋があった。イエから離れ、四つの小屋が並んで建っていた。裏側に小さな汲み出し口があり、中に糞尿がたまっていた。
柄の長い大きな柄杓で汲み出し、桶に入れた。二つの桶を担ぎ棒にぶら下げ、畑まで運んだ。肩に棒が食い込んだ。ぐずぐずしていると、テンの怒鳴り声が飛んできた。
畑の畝には濃い緑色の葉っぱが、あたりを埋めつくしていた。女達が畑仕事をしているところまで桶を運んだ。女達は桶を受けとると畑に振りまいた。あたりに糞尿の匂いがただよった。
テンは畑の女達と冗談を言い合いながら、リク達を監視していた。リクは空腹と疲れでふらふらになっていた。トビは歯を食いしばって桶を運んだ。リクはたまらず、地面に腰を落とすと、テンの蹴りが飛んできた。
一日が長く感じた。やっと夕方になり、解放されて檻に帰った。ヨネ婆がいそいそとお粥の入った土鍋を運んできてくれた。リクは碗を受け取ったものの、食う気になれなかった。トビは疲れはてているものの、朝とは違い、むせながらもお粥をのどに流し込んだ。疲れた表情を見せているものの、目は死んでいなかった。
「しっかり食べておかないと、死ぬよ」ヨネ婆はリクを気づかった。
夜になると檻に閉じ込められた。酔っぱらいが松明を持ち、檻を見まわりにきた。檻から引きずり出され、体に火をつけられるのではないかとおびえた。どんなひどいことをされても、たえるしかない囚われの身だった。こんな状況がずーっと続くのかと思うと、身ぶるいした。
二人以外は比較的自由な身だった。従順に大人しくしていれば、奴隷でもそれなりの自由は与えられていた。しかし、少しでも抵抗をすれば、ひどい目にあい、強制的に働かされてきたはずだ。ここに閉じ込められている限り、本当の自由とはかけ離れていた。
自分のこと、トビ兄弟のことも考えた。ここを逃げ出す方法も、あれこれ考えてみた。
「どうして皆逃げないんだ?」とトビにたずねてみた。
「逃げる?オレ以外に逃げる気なんか、誰も持っていないよ、逃げたところで行く場所もないし、自分一人で生きて行く自信もないんだろう。ここにいれば飢え死にしないだけ、ましなんだろう」
奴隷達があえて逃げ出さないのは、わずかばかりの自由とわずかばかりの食い物にありつけるからか。
「トビのムラはないのか?」
「ああ、ここの連中に襲われた、男達は殺されてしまった、父親もな」トビは吐き捨た。
トビは反抗的な態度で、テンに何度か蹴飛ばされていた。うらめばうらむほど、状況は悪くなるばかりだった。仕返しのしようもなかった。へたに仕返しをすれば、もっとひどい目にあわされるのは、わかりきったことだった。
我慢する日が何日も続いた。リクはいつまでもこんな状況が続くわけがない、なにかの間違いだろうと思った。
昼近くになり、広場で女達が輪になってざわめいていた。なごやかな笑い声が聞こえた。見慣れない男達がやってきていた。地面に下ろしたかごを女達がのぞき込んでいた。ひときわ目立つダンオウが、他からやってきた男達となにかやり取りしているらしかった。
黒イヌが人垣に近寄って行った。人垣の中に男の子の後姿が見えた。黒イヌは男の子の背後で、しっぽを振っていた。男の子は気づき、黒イヌを見下ろした。男の子がしゃがみ込むと、黒イヌは膝に前足を乗せた。男の子は頭をなで、顔をのぞき込んだ。
リクはブタ小屋のほうに目を向けた男の子と目があった。
「リク!」と走りよってきたのはカニだった。
リクは目を見張った。
「ここにいたのか!」
カニはずいぶん大きくなっていた。声もすっかり大人じみた声に変わっていた。子供の丸みのある顔から、えらが張った四角い顔つきになり、蟹にますます似てきた。
「みんなどうなったのか心配していたんだ」
「リクも無事で良かったよ」
「カニこそどうしてここに?」
「魚の干物とコメを交換にきたんだ。あれから漁師につかまったけど、漁師の仲間に加えてもらったんだ、今日はきてないけど、ウサギとヘソも漁師をやっている」
「良かった、殺されたのかと思った」
カニはリクの足の鎖に気づき、顔が引きつった。
「そこのガキ、なにやってんだ!」見まわりにきたテンが怒鳴った。カニはびくっと振り返った。
「見慣れない顔だな、おまえ」
「漁師だ、魚を持ってきたんだ」
「おまえなんかに釣られる魚なんかいるのかよ」テンはバカにしたように笑った。カニはテンをにらんだ。テンもにらみ返した。
「漁師がブタ小屋になんの用だ」
「はじめてブタを見たからのぞきにきただけだ」
「そうか、そんなに珍しいか、こいつらもブタだ」とリクとトビをあごでしゃくって笑った。
「ムラの中をウロウロかぎまわっていると、おまえもブタ小屋に放り込むぞ」テンはいまいましそうに地面に唾を吐いた。
ダンオウはムラの男達に穀物入れの袋を運ばせ、漁師達に渡していた。それと引き換えに、漁師達の持ってきたかごを受け取った。
漁師達は取引を終え、荷物を背負い、帰ろうとしていた。カニがブタ小屋のほうを振り返った。リクと目があうと、うなずいた。
黒イヌがカニの後ろでしっぽを振っていた。そのままカニについて行ってしまった。リクはいたたまれない気持ちで、カニと黒イヌを見送った。
黒イヌも安住の地がないのだろうか。それとも自由に、勝手気ままに生きているのだろうか。ムラで居候のように住んでおり、特に決まった飼い主はいなかった。しばられることなく、気の向くままさまよっているのだろうか。それにくらべて人間はなんと不自由なことだろう。
夕方になり、あちらこちらのイエで魚を焼く匂いがただよってきた。匂いにイヌ達が騒いで吠えていた。
自分達にも焼き魚が出ると期待はしていなかったが、ヨネ婆がちっちゃな小魚を持ってきてくれた。リク達は喜んで頭から丸かじりした。塩漬けの小魚だった。あっけなく胃袋におさまり、指についた魚の脂をなめた。カニがとった小魚かもしれないと思うと嬉しかった。
他のミユ達は無事なのか聞きそびれてしまった。カニが次ぎにくる時には、聞き出せるかもしれないと思うと、ほんの少しだけ楽しみができた。
数日後、リクとトビは別々の仕事をわり振られた。テンに連れて行かれたのは、鍛冶小屋だった。
入口に立つと、中から熱気が顔に当たった。赤々と燃え盛る炉の傍で、上半身裸の男が汗だくになり、鉄を叩いていた。テンが入って行くと、顔を上げたのは酒飲みの男だった。いったん手を止めた男は、にらみつけてきた。リクは立ちすくんだ。
「イタチ、焼くなり食うなり、好きなようにしろ、背中に火をつけてもいいんだぜ」とテンは残忍そうにリクのほうをあごでしゃくった。テンは壁にぶら下げている鍬、鎌を手に取って見ている。鎌を振り上げ、リクに振りまわした。驚いて飛びのいた。
「くだらんことをするな」と酒飲みのイタチがテンをにらみつけた。
「まアー後はよろしく頼むわ」とテンはうすら笑いを浮かべ、出て行った。
イタチはまた作業を続けた。炉の中の真っ赤になった鉄を取り出し、金槌で叩いた。見慣れない道具、工具がところ狭しと置いてあった。床の中央に粘土で炉をしつらえ、真っ赤に炭が燃え盛っていた。
「つっ立てないで、フイゴを踏め」とイタチはぶっきらぼうに命じた。意味がわからず、あたりを見まわした。
「足下のそれだ、踏んで風を送るんだ、さっさと踏め!温度が下がっちまうだろうが」
炉の下から筒状のものが出ており、さらに先端には板と革の袋が取りつけられていた。フイゴをあわてて踏んだ。踏むたびにフイゴから炉に風が送られ、メラメラと炭火が燃え盛った。
イタチは手際よく、炭火の中から徐々に形になって行く鉄を取り出しては、叩き、叩いては炭火に突っ込んだ。叩く手元から火花が飛び散った。小屋全体が熱気に包まれていた。
イタチの上半身裸の体は、力仕事でむだな肉はいっさいついていなかった。長年この仕事をしてきたせいか、利き腕の肩から腕にかけて筋肉がついていた。リクの体も硬い筋肉におおわれようとしていたが、イタチとはくらべものにならなかった。
酔っぱらっている時とはまったく別人のように、ひたすら仕事に打ち込んでいた。鼻の頭を真っ黒にして、金槌を振り下ろしていた。鉄の形を整えると、火所に突き込んだ。
ふたたび真っ赤になった鉄を取り出し、つばをかけた。つばは玉になってはじけた。つばで焼き具合を確かめると、真っ赤な鉄を脇の水桶につけ込んだ。シュクシュクジューと勢い良く音を立て、あばれるように水蒸気が立ち上った。水蒸気はすぐさま勢いを失い、落ちつくと水から鉄をさっと取り出した。
リクは驚いた。鉄が元の姿を変え、別のものに変わって行くさまは信じがたかった。イタチはいとも簡単に熱い鉄をあやつっていた。鉄をあやし、手なずけ、手際よく自分の思いどおりの形にした。真っ黒な鼻の頭の汗を腕で自慢気にぬぐった。
イタチは壁に立てかけあった鍬の柄を選び出し、でき上がった鍬を取りつけた。何度か具合を確かめ、はまり具合を調整した。最後に柄を逆さにして、柄先を地面に打ちつけ、鍬先を柄にしっかり食い込ませた。
その間もイタチはリクの存在を忘れたかのように、一心不乱に仕事に取り組んでいた。得体の知れないただの酔っぱらいだと怖れていたが、イタチの知らない一面を見たような気がした。
一通り作業を終えると、傍の椅子に腰をかけ、ひと息ついた。リクの存在を思い出したかのように、おまえもそこにすわれと、別の椅子を指した。リクはおずおずとすわり心地を確かめるように腰をおろした。イタチはリクに話しかけるでもなく、額の汗をぬぐっていた。
リクは沈黙に息がつまり、作業小屋を見まわした。木箱の中の小さな鉄片の山に目が止まった。いらない余分なところを切り落とした鉄片のようにみえた。なにかに使えそうだった。うまい具合に加工すれば鏃になりそうだった。
「ここのモノをこっそり持ち出すなよ」とイタチが見すかすように言った。
「おまえ一人じゃ無理だ、大人しくしていろ、黙ってオレの仕事を手伝っていればいいんだ」とイタチは静かな口調で言った。その目つきには残忍さはなかった。子供あつかいに聞こえた。
イタチのことをヨネ婆に話すと、ヨネ婆は眉をしかめていた。
「腕は確かなんだけど、酒を飲むと大虎になっちまうからね」
「オオトラ?」
「ケダモノになって、見境がなくなるんだよ、普段は鼻黒のイタチって、一目置かれているんだけどね」とヨネ婆は笑った。
リクはうなずいた。子供の体に火をつけるのは普通じゃない。酒でガラっと人間が変わってしまうのかと思うとゾーっとした。
「あいつの身分でよっぱらうほど、酒なんかもらっちゃいないはずだがねー、どうしてあんなになってしまうんだろうね」ヨネ婆は首を傾げていた。
「よっぽど酒に弱いか、それとも本当は、しらふでやっているのじゃないかってうわさもあるね」
「正気なのにわざっとやっているということ?」
酒を飲んだ時と仕事をしている時のイタチが、同じ人間とはとても思えなかった。なにかあるのだろうか。単にヨネ婆が言うように、酒を飲むと大虎になるだけなのだろうか。
作業小屋ではイタチの指図に従い、フイゴを汗だくになり、ひたすら踏んだ。イタチはそれ以外の指示は出すことはなかった。
ひと息入れていると、カスミが顔をのぞかせてきた。手に持ってきたものをリクに一個手渡した。リクのけげんそうな顔を見て、ニコニコしていた。
「イモだ」とイタチが馬鹿にしたように教えてくれた。
カスミもうなずいている。丸くころっとしており、赤茶けた皮で包まれ、中はやわらかそうだった。薄皮をむくと、黄色っぽいホッコリした中身が顔をのぞかせてた。一口かじってみると、やわらかくほのかに甘かった。じっとイモを見た。山イモに似ているものの、山イモほどはねばりっけはなかった。
カスミはケモノのようなイタチを信頼しているように思えた。カスミのイタチに見せるニコニコ顔を見ていると、イタチの正体がますますわからなくなってしまった。
(続く)