青の欠片 6、7

<親に捨てられた子供達は廃墟の中で自分たちの力で生きてきた。文明が一度崩壊し、縄文時代、弥生時代のような先祖帰りした社会の中で子供達は自分たちで学び困難に立ち向かった。 考古学を題材にした子供達のサバイバル物語> 

六 ブタ祭り

 数日後、朝からムラ全体がそわそわしていた。
 男も女も広場を忙しく行き来していた。鍛冶小屋で手伝っていると、ブタ小屋のほうがさわがしかった。
 なにごとかとリクは手を止めた。子供達の騒ぎ声も聞こえる。ブタのなく声が聞こえてきた。テンの怒鳴り声が鍛冶小屋までひびいてきた。リクは思わず首をすくめた。イタチはなにごともないように、汗だくになって金槌を振り下ろしていた。
 ヨネ婆が鍛冶小屋に竹かごを持って顔をのぞかせた。
「リクを借りて行くよ」とイタチに断りを入れた。イタチは黙ってうなずいた。
 連れて行かれたのは、ブタ小屋のまだ奥にある空き地だった。子供達が群がっていた。大人も二、三人混じっていた。リクとヨネ婆が近寄ると、大人達はじろっと見た。ヨネ婆はその視線を無視し、平気で前へ進み出た。リクがためらっていると、ヨネ婆が手招きをした。
 二本の柱に渡した丸太に、ブタが逆さまにぶら下げられていた。テンがブタを解体しているところだった。ブタはだらしくなく巨体をさらけ出していた。トビも手伝っていた。リクはイノブタを解体したことがあり、目の前の解体に臆することはなかった。
 テンはブタの内蔵を引きずり出し、ヨネ婆の足下に投げ出した。小さな子供達は悲鳴を上げて飛びのいた。リクはヨネ婆を手伝い、竹かごにはらわたを拾い集めた。まわりの子供達が気味悪げに見ていた。
「こんなもの食うのかよ」と幼い声が背後で聞こえた。リクが声のほうに目をやると、ヒワが明らかにさげすんだ目つきで、うっすら笑いを浮かべていた。敵意さえ含んでいた。
「こいつらケダモノだ」とヒワが喚いた。他の子供達もはやし立てた。まわりの大人達はそれを止めもしなかった。
 小さな男の子が、ヨネ婆に小石を投げつけた。リクはカッとして立ち上がり、その子のほうに足を一歩踏み出した。男の子はリクの血相に驚き、母親の後ろに隠れた。母親は子供をかばい、リクをにらみつけた。ヨネ婆にリクは腕をつかまれた。
「ごめんなさいよ」ヨネ婆はリクに代わり、母親に卑屈に謝った。
「さっさと拾うんだよ」とヨネ婆はリクに珍しく強い口調で指図した。
「見せ物じゃないんだ、じゃまだからとっとと行ってくれ」とテンが腹立たし気に、群がっているに人間をにらんだ。
「なに様だよ、ブタ殺しが」と先ほどの母親がいまいましげに言い返した。テンは母親をチラッとにらんだものの、相手にせず作業を続けた。
 男の子が隣にいたヒワに 「おまえのお兄ちゃんもブタ殺しだな」と見下した。
「違うよ!」とヒワは男の子を突き飛ばした。それを見ていた母親が、ヒワに手を上げた。
トビが血相を変え、母親につめ寄ろうとした。
「なんだよ」と母親は驚いたものの、虚勢を張ってトビをにらみつけた。テンがトビの腕を取り引っぱり戻した。
「奴隷のくせに」と母親は吐き捨てた。
 テンは聞こえない振りをして、はらわたを取り出していた。テンはヨネ婆のほうに投げるつもりが、手元がさも狂ったように、母親のほうにわざとらしく投げつけた。母親の肩にはらわたが引っかかった。母親はあわてて払い落とした。
「なにするんだよ!」母親は血相を変えて怒鳴った。
「おっと、失礼」とまたわざとらしく、はらわたを投げつけようとした。集まっていた人間達はあわてて逃げた。
「おまえらも解体するぞ」とテンは冗談混じりにおどした。バーカとクモの子を散らすように、子供達は逃げて行った。テンは笑っていた。ヨネ婆も下を向いたままクックと笑っていた。
 ムラ人がいなくなり、テンは大きく切った肉のかたまりを、ヨネ婆の竹かごに入れてやった。はらわたの下に隠し、肉のかたまりが見つからないようにした。
「ありがとうよ、あたしみたいなべっぴんは得だよ、男がモノをくれるからね」と歯の抜けた口元で笑った。
「なに言ってんだ、ババァが」テンが珍しく笑いながら言い返した。
 テンの笑顔を不思議なものを見つけたように、目をみはっていたリクと目が合い、
「なんだよ、テメー文句あるのか」とガラっと表情を変えた。リクはあわてて首を振った。
「なにぼやぼやしてんだ!」とテンは今度はトビを怒鳴りつけた。ヨネ婆はおかしそうに笑っていた。
 ヨネ婆とリクは炊事小屋に帰ると、丁寧に土のついたはらわたを水で洗った。リクが手慣れた手つきで、はらわたを洗うのをヨネ婆は見ていた。
「上手だね」
「イノブタを解体したことあるから」
「そうかい、えらいね。イノブタをつかまえ、自分たちで解体していたのかい」
 リクはうなずいた。命がけでつかまえ、料理したイノブタはごちそうだった。はらわたも捨てず、食った。
「あの連中はこれがうまいこと知らないんだ」
 リクはうなずいた。
「連中は肉になったブタは大好きなのに、ブタも殺せやしないし、解体もできやしない。そのくせブタを殺す人間を汚いものでも見るように、さげすんでいる。子供達もあんなことを言ったり、石を投げたりしないよ。親があたしらを家畜だと思っているから、子供もあんなことをするんだよ」とヨネ婆は笑った。
「婆さんは腹立たないのか」
「たちやしないよ、腹を立てても仕方ないだろう。老いぼれてくると、たいがいのことは我慢できるようになるもんだよ」
「ここから逃げようと思わないのか、婆さんは」
「こんな年寄りが逃げてどこへ行くんだい、後何年もしないうちに、役に立たなくなりゃ、自由にしてくれるさ。うば捨て山に連れて行ってくれて、自由にしてくれるよ」ヨネ婆は笑っている。しわだらけのヨネ婆の顔をまじまじと見た。
「おまえ達は逃げたらいいよ」
「逃げれそうもないよ」
「あきらめちゃ、いけないよ」
「わかっている」
「そのうち逃げるのを誰かが手伝ってくれるよ」
「誰かって、誰が?」
「神様かもしれない、そのうちわかるよ」とヨネ婆は笑って、その先は教えてくれなかった。
 広場に男達が薪を持って集まってきた。広場の共同の炊事場は、女達が𥧄に鍋をかけ、調理をしていた。でき上がった料理をいそいそと運んでいた。広場にうまそうな匂いがただよっていた。まわりで子供達がはしゃいでいた。子供達に混じり、イヌがおこぼれをちょうだいしようと、うろうろしていた。女達に邪険に蹴飛ばされていた。それでも、つまみ食いをしている子供達に、物欲しげにしっぽを振っていた。
 テンがかごに入れた山盛りの豚肉を運んできた。次々とでき上がる料理を宮殿の前に並べた。宮殿の軒下に赤い敷物を広げ、料理を並べた。酒の入った壺もいくつか運ばれてきた。イヌが料理に近づかないように、数人の子供が見張っていた。ヒワも他の子供達に混じり、料理をのぞき込んでいた。リクの見たこともないような料理が並べられた。
 高床式の倉庫から、穀物の袋を男達数人で下ろしはじめた。宮殿の前に並べると、ダンオウが数を数えた。
 昼過ぎになり、大門を開けた。普段は大門に取りつけた小さなくぐり戸しか開けていないものの、今日は大門を大きく開け放った。
 イヌが大門に向かって吠え、見張り台に登っていた男が鐘を打ち鳴らしはじめた。鐘の音を合図に、ムラ人達が大門の両脇に並び、カエルのように腰を落とし、しゃがみ込みはじめた。奴隷達は自分の小屋の前でしゃがみ込んだ。ヨネ婆にうながされ、リクもわけもわからず、同じようにしゃがみ込んだ。上の者に対するへりくだった、すわり方だった。リクは小声でヨネ婆に誰が来るのかたずねた。
「このあたりの支配者がくるんだよ、皆でお出迎えさ」と皮肉ぽっく答えた。
「このムラが飢えるかもしれないのに、ごちそうとコメを差し出しているのさ」
「なんのために?」
「そりゃ向こうが強いからさ、戦いになったらこっちはひとたまりもないよ。皆殺しにされちぃまうからさ。それに別のムラと戦いになった時には、助けてもらおうってつもりさ。実際、助けてくれるかどうか、わかったもんじゃないけれどね」とヨネ婆はしわだらけの顔で笑った。
 ひづめの音が聞こえ、馬が大門から入ってきた。先頭の白い馬には小柄な老人が乗っていた。両脇を武人の馬がかためていた。その後にも十頭あまりが続いて入ってきた。さらにその後に、日に焼けた農夫が十人ほどが、荷馬車を馬に引かせていた。
 リクは生まれはじめて見る大きな生き物に驚いた。やたら顔が長い。長過ぎる。リクはあっけにとられていた。
「馬だよ、戦であれに乗って戦うんだ。あれに追いかけられたら、死神に追いかけられると同じだよ」
 ダンオウと妻子が出迎えた。小柄な老人は親しげに笑みを浮かべていた。ダンオウはへりくだって頭を下げた。そんなダンオウを見るのは、はじめてだった。ちっぽけな老人が支配者にはとても見えなかった。ダンオウの半分くらいの体格しかなかった。ダンオウがさわるだけで倒れてしまいそうな、ひ弱な老人だった。ダンオウのよう怖さは、まったく感じられなかった。
 長い槍を持った男十人ほどが、老人に従っていた。武装した屈強な武人達だった。このムラの男達よりも胸板が厚く、ダンオウに引けを取らなかった。
 ダンオウと妻は、宮殿の前にかまえた宴に老人を案内した。キツネが待機していた。キツネは老人の前にひざまずき、老人の坏に酒をついだ。老人は酒を飲み干すと、ダンオウに酒坏を差し出した。キツネがダンオウにも酒をついだ。ダンオウが飲み干すと、広場に集まったムラ人達から拍手が起こった。老人はこっくりうなずいた。それを合図に、いっせいに宴が始まった。
 武人達は場がにぎやかになっても、騒ぎには加わらず、老人の傍から離れなかった。農夫達はムラ人に混じり、浮かれたように騒いでいた。
 ヨネ婆、カスミは料理を運んだり、てんてこ舞いしていた。やがてキツネが老人の前に進み出て、舞を舞いはじめた。ムラ人達は騒ぐのを止め、キツネの舞を静かに見守りはじめた。キツネは老人を挑発するかのように舞を舞った。老人は笑みを絶やさなかった。
 子供達は武人をあこがれの目で見ていた。時間がたつにつれ、無表情で警戒している武人に恐る恐る近寄っては、すぐまた逃げたりをくり返した。そのうち、武人に触れんばかりに近寄った。武人は子供達さえも警戒していた。
 リクは用事のある振りをして、大門近くにつながれた馬を見に行った。恐る恐る馬に近寄ると、リクの心を見すかしたように、砂を蹴って脅してきた。ちょっとひるんだものの、うるんだ瞳は優しげだった。馬は長い首を上下に振り、リクを警戒していた。そーっと手を額に伸ばすと、されるがままに大人しくなでられていた。
 突然怒鳴り声が聞こえた。馬からとっさに手をのけた。あわてて後ろを振り返ると、武人がムラの子供を打ちすえていた。
 小さな男の子の悪ふざけが、武人の怒りを買ったらしい。騒いでいたムラ人達は、一瞬凍てつくように固まった。小さな男の子は、なにが起こったのかわからず、口を開け、武人を見上げていた。後から恐怖がやってきたのか、大声を上げて泣きはじめた。ムラ人達が立ち上がった。武人達がぎょろりとムラ人をにらみすえた。
 老人はなにごともなかったように穏やかに笑っていた。ダンオウの妻が立ち上がり、男の子を助け起こしてやった。母親らしき女がそそくさと、男の子を連れ行き、叱っていた。ダンオウは顔をしかめていたが、気を取り直し、老人の笑い声に合わせた。ぎこちない笑い声しばらくが続いた。また宴会が続けられた。
 老人の合図に農夫達は騒ぐのを止め、荷車を引っ張ってきた。庭に並べた穀物の袋を積み込みはじめた。ムラ人達はそれをうらめしげに見守っていた。荷物を積み終えると、ムラ人達は大門の前にふたたびしゃがみ込んだ。
 ダンオウが老人になにかを語りかけていた。なにかお願いをしているのだろう。出立する老人達を、ムラ人は総勢で見送った。

 宴はいったん終わりになり、夕方になるとムラ人達だけで再開した。老人達がいる間は、明らかに自重した騒ぎだった。
 男達は薪をうずたかく積み上げた。ダンオウの指図で、ブタの肉を薪のまわりに運んだ。子供達も楽しそうに飛びはねていた。イヌをからかったり、追いかけっこをしたりしていた。
 あたりが暗くなると、薪に火をつけ、肉を焼きはじめた。肉の焼ける香ばしい匂いが、ムラの中にただよった。
 檻に帰ったリクとトビは、広場の騒ぎを尻目にうずくまり、香ばしい匂いを嫌でもかがされた。空腹で広場の匂いが腹立しかった。
「あんた達にもごちそうだよ、今日はブタ祭りだからね」ヨネ婆が鍋と焼いた肉を持ってきてくれた。碗にはブタ肉のかたまりが入っていた。
「ブタ祭り?」リクがたずねた。
「春の農作業が一段落したからね、秋にいっぱい収穫できますようにって、ブタを神様にお供えするんだよ」ヨネ婆は嬉しそうだった。
「ブタを食ったら、また軒下に頭の骨をぶら下げる」とトビが横から説明した。
 リクは自分たちもイノブタがとれた時、山の神様に感謝の祈りをささげたことがあった。このムラでも同じようなことをしていた。
 リクは久しぶりの肉を嬉しそうにつまみ上げた。イノブタよりもやわらかく脂身が多かった。イノブタは野山をかけめぐり、硬かった。ブタは小屋で飼われているせいか、すじ肉がほとんどなかった。トビも嬉しそうに肉にかぶりついた。
 広場ではにぎやかな声がひびいていた。年長の子供達が、枝に火をつけ、焚火のまわりを走っていた。その後をよちよち歩きの幼い子達が追いかけていた。転んで泣き出す子もいた。子供達は有頂天になっていた。ヒワも走っていた。逆方向に一人で走っていた。向かってくる子供にぶつかり、転げた。ヒワは何度か立ち止まり、あたりを見回した。輪に加わろうとするが、なじめずに一人浮いていた。
 ムラ人達も今夜は浮かれていた。焚火を囲み、たらふく食い、はしゃいだ。奴隷達も自分たちの小屋のまわりに集まり、お裾分けの肉を楽しんでいた。ヨネ婆が奴隷達の世話をしていた。
 広場の焚火が消えかかった頃、宮殿の前にかがり火がともった。宮殿が闇夜に照らし出された。ムラ人達の騒ぎが静まり、赤い服を着たキツネが宮殿から現れた。
 ムラ人達は固唾を飲んで、キツネを見守った。裾の長い服はさらさらしており、かがり火がキツネの姿を鮮やかに照らし出した。
 キツネは、ゆっくりと舞を舞いはじめた。小さな子供達も舞を静かに見守った。普段とは違うなにかを感じ取っていた。
 最初はゆっくりと太鼓の音に合わせ、キツネは踊った。太鼓の重たい音が心臓をしめめつけた。キツネは天を仰ぎ、両手を差し出し、満月に語りかけるように舞っていた。太鼓を打つ音が徐々に速くなり、キツネの舞も速くなった。キツネの体を包んだ衣が風に揺れた。長い黒髪が顔にからみついた。
 踊りを舞うキツネも、それを見守るムラ人達も恍惚としていた。やがてキツネの舞が狂ったように激しくなり、つられてムラ人も我を忘れて踊りはじめた。男達の背中の蛇の刺青が、生きているようにくねっていた。ダンオウの刺青は背中一面に彫られ、他を圧倒していた。大きな背中の蛇がのたうっていた。
 リクは異様な光景を怖れた。ムラ人に得体の知れないものが取りつき、乱舞をさせていた。
 やがて踊りが止むと、カスミが碗をおごそかに持ち、キツネの後に従い、宮殿の奥に姿を消した。おそらく碗の中身は酒なんだろう。ミコにささげるのだろう。
 不思議に思ったのは、こんな時にもミコが姿を見せないのは何故だろう。ミコの存在は神秘に包まれていた。キツネだけがミコに会うことを許されているのだろうか。キツネはカスミに手伝わせる以外は、他のものを宮殿に寄せつけなかった。カスミよりもっと身分の高い若い娘がいるのに、口の利けないカスミだけが、宮殿に出入りを許されているのは何故だろう、理由はわからなかった。
 夜空に満月が輝いていた。松明を持った男が、広場を横切って檻に近づいてきた。松明をかざし、檻をうかがってきたのはイタチだった。その目は鍛冶小屋で働いている時の目つきとは違っていた。獲物を探すような目つきだった。
「オイ、おまえ出てこい!」とリクに喚いた。リクは身ぶるいをした。イタチは入口の鎖をほどき、入ってきた。リクは後ずさりした。リクを追いつめられた。顔に松明を突きつけられた。髪をつかまれ、巻貝が殻から身を引きずり出されるように、檻からズルズル引っぱり出された。トビが止めろと喚いていた。
 ヨネ婆がなにごとかと小屋から出てきて、あわててイタチにしがみついた。イタチが払いのけると、ヨネ婆はよろめいて倒れた。
 リクは背中に火をつけられた。地面を転げまわった。群がってきたムラ人達が、残忍にも笑っていた。宮殿から飛び出してきたカスミが、大あわてで井戸から水を汲んで、リクにかぶせた。
 リクは呆然と地面に伏していた。
 子供達が火のついた枝切れで、リクの背中にふざけて火をつけようとした。テンが子供の手から枝切れを乱暴に取り上げた。カスミもきびしい顔で子供達を追い払った。
 カスミとテンに抱えられ、ヨネ婆の小屋に連れて行かれた。ムラ人は笑いながら三人を見送った。
 ヨネ婆はリクの怪我の具合を確かめた。
「これぐらいの火傷はどうてことないね」ヨネ婆はなぐさめともつかないように言った。
「念のためにお婆の特製の薬でも塗っとくかい」と冗談ともつかないことを言いながら、トビに塗っていた同じ薬を持ってきた。
 確かにほとんど痛みはなかった。背中に火がつき、炎が上がったものの、痛みは感じなかった。恐怖で痛みを感じなかったのだろうか。イタチに対する憎しみより、恐怖心のほうが勝った。
 毒を持ったフグのように、心に刃を持ったとしても、しょせん岩に叩きつけられ、踏みつぶされるだけだ。と言って、イヌのようにしっぽを振ってすり寄っても、生きた保存食で、いざとなったら殺されてしまうのが落ちだ。どちらにしても、ここでは生きのびるのはむつかしいだろう。
 トビのように連中に復讐しようとする気持ちより、どうにかして、ここから抜け出したいと思った。

 七 日照り

 イタチに火をつけられた後も鍛冶小屋へ呼ばれた。イタチは素知らぬ顔で、リクに仕事を手伝わせた。カスミが時たま顔をのぞかせ、二人を気づかった。
 しばらくなにごともなく過ぎ去った日、カニ、ウサギとヘソが漁師仲間と一緒にやってきた。あの黒イヌもついてきていた。交易相手の漁師達には、このムラも警戒心をゆるめていた。
 塩、魚介類、海草の類を運んできた。漁師達は普段は海で漁をしているものの、農作物を手に入れるため、定期的にムラにやってきた。
 他のムラとも行き来しているらしかった。海に暮らしていても、逆に内陸部のムラの連中よりも、いろいろな情報を持っていた。ムラは海産物と周辺の情報を得るため、漁師達を味方につけた。内陸部のムラは漁師達を襲ったり、裏切り、海産物と情報がとだえることを怖れた。漁師達もムラ人達とお互いに持ちつ持たれつの関係を保っていた。
 手土産に貝殻の飾り物を持ってきてくれるので、女達には人気があった。農作業に明け暮れる女達は、たまにやってくる漁師達を心待ちにしていた。漁師達がやってくると我先に群がった。子供達も他のムラの人間に会えるのが嬉しく、わずかばかりの手土産にうきうきした。
 漁師達は農作物以外にも、鉄を手に入れるため、鍛冶屋を訪れることもしばしばだった。自分達でまかなえないものは、他のムラとの交易で手に入れていた。
 漁師達が取引きをすませ、鍛冶小屋にやってきた。リクはドヤドヤと入ってきた漁師に驚いていたが、イタチはまったく普段と同じように、ぶっきらぼうに漁師達に接していた。
 大人の漁師達の後にカニ、ウサギとヘソがついてきた。三人はさりげなくリクに近寄ってきた。
 久しぶりに見たウサギとヘソはカニに負けないくらい大きくなっていた。二人とも臆病そうな面影はうすらぎ、漁師にきたえられ、精悍さをただよわせていた。ウサギはリクの足の鎖を見て、顔をしかめた。
 漁師はイタチに頼んであった銛先を受け取っていた。一番年上の漁師がリク達にチラっと目をやり、声をひそめてイタチになにかささやいていた。リクは横目で大人達をとらえていた。
 カニ達は鍛冶小屋の中が、さも珍しいそうに物色していた。
「ミユは相変わらず天満宮に住んでるらしいな」とカニがウサギとヘソにうわさ話のようにしゃべっていた。明らかにリクに語りかけていた。大人達に背を見せ、リクはうなずいた。
 カニは手に隠し持っていた勾玉の欠片をこっそりリクに渡した。
 リクは驚いて、「ミユの」と言いかけた。カニは遮り、「おまえは奴隷か」とわざとリクをあざけるようにしゃべりかけてきた。ヘソの顔が悲しいそうにゆがんだ。
「逃げないのかよ」とウサギが横から口を出してきた。
 背後でイタチが 「ミコが」とボソボソしゃべっているのが、かすかに聞こえた。年上の漁師が驚いたような声を上げた。なにかを言いかけていたが、後はうやむやだった。
 リクには 「し」と言う言葉の頭だけしか聞き取れなかった。
「じゃまた、来る時にはよろしく」と年上の漁師は、イタチになにかを注文していた。
 年上の漁師はリクの鎖を見て、「奴隷をそそのかし、逃げる気にさすなよ」とカニ達にいらぬことを言うなと釘を刺した。漁師はカニ達をうながして出て行った。
 リクは三人の後ろ姿を見送った。カニは後手で手をにぎるような仕草して出て行った。
 オレも一緒に連れていってくれとせがみたかった。仲間だったカニ達は自由の身で、自分は囚われの身だ。ちょっとした出来事で、身も心も自由でなくなってしまった。カニ達も生き抜いていくことはたやすいことではないかもしれないが、自分の置かれている状況にくらべれれば、ずっとましだ。
「おまえの仲間か?さっきのガキどもは」イタチがするどい目つきで聞いてきた。リクは首を振った。
「ウソをつけ、おまえの様子を見ていればわかることだ」
「だったらどうなんだ」とリクは少しきつい口調で言い返した。
「あのガキどもが、おまえを助けるのは無理だ、あきらめるんだな」イタチはフッと珍しくうっすら笑いを浮かべた。
「偉かったな」
 リクはイタチの言っている意味がわからなかった。
「ガキだけで生きてきたのはほめてやるよ、でもな、ケモノのように生きていくのが精いっぱいだろう、ここで奴隷として生きていくほうがずっとましだ」
 イタチに自分の気持ちなんかわかるはずがないと思った。確かに飢えと寒さに苦しみ、ただ生きてきただけだった。それでも今の状況よりずっとましだった。
「オレも奴隷だった、でもオレは鉄と火をあやつることができる、誰もオレの真似はできない」
 ムラの鍛冶小屋に閉じ込められたように、鉄をただひたすら打つ日々に、なんの意味があるのだろうか。ガキに火をつけ、笑っている人間こそケダモノではないか。
「おまえ一人だけが逃げるのは許さん」イタチはそう言い終わるとさっさと仕事に戻った。
 夕方、漁師達とイタチがコソコソ話していたことが気になり、ヨネ婆とトビにたずねた。
「ミコのことを?」ヨネ婆もわからないようだった。
「なんだろうね、イタチはミコに関心なんかないだろう、それに漁師とミコのことを話す理由もないだろう」とヨネ婆は首を傾げていた。
「単なるうわさ話でもしていたのと違うかい」とヨネ婆はあまり気にも止めないような様子だった。
「イタチはここのムラの情報を流しているのかもしれないな」とトビはなにか思い当たるように、ぼそっとつぶやいた。
 イタチは情報を流してどうする気だろうか。漁師達はその情報を他のムラに教えるのだろうか。
「キツネは宮殿のことを、ここのムラ人にもあまり知られたくないのだろう。口の利けないカスミなら秘密を漏らせないからな。イタチはカスミから手振りで秘密を教えてもらってんだろう」とトビはイタチのことを怪しんだ。
「水の出が悪くなったね」とヨネ婆が井戸の底をのぞき込んだ。
 リクも井戸に頭を突っ込んでのぞいてみた。雨の季節にほとんど雲は出ず、晴天が続いていた。ムラ人達もひと雨欲しいと、うらめしげに空を見上げていた。
 ヨネ婆が心配していたように、やはり何日も雨は降る気配がなかった。ムラ人数人が井戸を取り囲み、ダンオウと相談しているようだった。おそらく、井戸の水がかれることを心配して、なんらかの手を打つつもりなのだろうか。
 夜、リクはミユの勾玉を首に掛けて横になった。またミユ達と一緒に暮らしたかった。リクの心に、ここを抜け出し、天満宮に帰りたい気持ちが高まるばかりだった。ミユの勾玉を握りしめた。涙がこぼれそうになった。

 数日後、リクとトビはテンに田んぼに行くように指図された。二十人ほどの奴隷達は、順番に足の荒縄がしっかり結ばれているか調べを受けた。水桶を天秤棒で担ぎ、長い柄の柄杓を持って田んぼに向かった。
 一面に広がる田んぼの水は少なくなっていた。所々に水たまりになって残っているだけだった。この時期には、水があふれるほど入っていなければならないらしい。
 田んぼの水たまりにオタマジャクシが逃げ場を失い、ひとかたまりになり、うじょうじょとうごめいていた。水のないところは泥がひからび、ひびわれが走っていた。
 用水路の堰には水はあるものの、田んぼの水口に流れ込むだけの高さはなくなっていた。
 リク達は用水路から水を汲み上げた。監視をしているムラ人が、水をこぼすなと怒鳴っていた。リクとトビは鉄の鎖のため、足元を取られ、水桶をひっくり返した。監視人に二人はこずかれ、罵声をあびせかけられた。
 田んぼに水を流し込んでも、ひびわれに吸い込まれるだけで、容易に水はたまらなかった。堰の水はどんどん減っていくものの、田んぼの水は増える気配はなかった。
 堰に上流から流されてきたフナが、背びれを見せて逃げようともがいていた。フナをつかまえると、水桶に放り込んだ。フナも大事な食料だった。頭の大きなナマズも平べったい顔をのぞかせて流れてきた。大きな口をぱくぱくさせ、長いヒゲをくねらせていた。魚はとれるものの、田んぼの水は増えることはなかった。
 堰の水がなくなると、別の場所に移動し、再び水汲みをくり返した。
 夕方になり、追い立てられ、フラフラになりながらムラに帰った。ヨネ婆とカスミが心配そうに出迎えてくれた。
 夕飯には用水路でとれた小さなフナが一匹出てきた。大きなフナが奴隷の口に入ることはまずあり得ないことはわかっていた。それでもあまりにもちっぽけなフナにがっくりした。
 きつい仕事のわりには食い物が足りなかった。自分の体がみじめなほどやせ細っていくのがわかった。太くなりかけていた腕の筋肉は落ち、あばら骨が形がわかるほど、くっきりと浮き出てきた。
 カニ達と暮らしていた頃、食い物も手に入れれるようになり、育ち盛りのリクはどんどん大きくなった。囚われてからはヘソのように腹がポッコリ出てきた。肥って腹が出てきたわけではなかった。飢えで腹がせり出してきていた。
 支配者達は、奴隷に十分な食い物を与える気はまったくなかった。生きた口として嫌った。連中は飯も食わず、黙って働く家畜が欲しかったのだ。
 朝夕の食事の時、ヨネ婆がいつも申しわけなさそうに、リクとトビに食事を運んできてくれた。多分、ヨネ婆のことだから、自分の分もリク達に多く分け与えてくれているのだろう。ヨネ婆の顔色もだんだん悪くなっていった。ひからびた老女の体が、ますます枯れ枝のようになっていった。
 夜、カスミが食い物をこっそり差し入れしてくれた。リクとトビは驚いた。水っぽいお粥ではなく、しっかりした飯だった。リクはそんな飯ははじめて見た。こんなぜいたくな食い物をどうしたのかとたずねても、カスミが言葉で答えられるはずもなかった。
「ミコの残しものか?」とトビがたずねると、カスミはあいまいな笑いを残し、そそくさと闇の中に消えて行った。
 食い物は嬉しかったものの、カスミがどこで手に入れたのかわからず、少し不安になった。それでも空腹には勝てず、がっついて飯を食った。
 リクは思わず箸を持つ手を止めた。そう言えば、魚とかはまったく手をつけていなかった。
「ミコは病気だからと違うか」とリクの疑問にトビが答えた。確かにそうかも知れないが、他の山菜とかもそのままのような気がする。食事も喉を通らないほど、ミコは具合が悪いのだろうか。
 水汲みの作業はむなしい作業だった。連日の作業でなんとか田んぼは干上がらずにすんでいるものの、水で潤すことはできなかった。
 夕方、ムラの中央広場で、ダンオウを囲んで白い服を着た男達が寄り集まっていた。あたりがすっかり暗くなり、かがり火をともし、長いこと話し合っていた。
 十人ほどがこのムラの中心人物で、ムラのことを決めているらしかった。その下には紺色の服をまとった一般のムラ人、さらにその下には奴隷上がりのムラ人、茶色の服の奴隷達がいた。実権はダンオウが握り、力と信望でムラを支配していた。一番上にはミコがいた。ミコは直接ムラのことには関わることはなかった。今まで一度もムラ人の前に直接姿を現すことはなかった。
 ムラ人達の話し合いはまとまったようで、重い腰を上げ、それぞれのイエへ消えて行った。ダンオウはしばらく残り、一人物思いにふけっていた。カスミのイエをのぞき込み、カスミを呼び出した。カスミに用を言いつけると、カスミは急ぎ足で宮殿に向かった。
 キツネが宮殿から出てきて、ダンオウとしばらく話し込んでいた。みんなで決めたことを、ミコに取りついでもらうのだろう。

 翌朝からさらにきびしい仕事が待ち受けていた。
 鍬とモッコを持ち、多くのムラ人が出かけた。子供達も大人達に混じり、浮かれ、はしゃいでついてきた。
 田んぼの畦道を通り抜け、山あいに向かった。山は木々がまばらで、山肌があらわになっていた。山肌が赤茶け、白っぽく日を照り返していた。 
 生活をするには、多くの木々が必要だった。イエを作るため、炭焼きをするため、日々の薪を得るために山から木を切り出した。ムラの周辺の山裾に高い木はなくなっていた。
 木を伐採した跡に炭焼き窯が所々に残っていた。こんもり丸い盛土は、赤土と山石で築かれていた。天井部分がくずれ落ち、真っ赤に焼けた壁が顔をのぞかせていた。まわりには炭が散らばっていた。木々を切りつくした後、炭焼き窯は見捨てられていた。木を切りつくされた山肌は、くずれ荒れていた。シダとイバラが日を浴び、丈を伸ばしていた。
 谷間の沢に着くと、いったん荷物を下ろした。ダンオウが数人の男を連れ、まわりの状況を調べた。しばらくすると、どうするか決まったらしく、男達は戻ってきた。人の手配をした。沢を挟んで大きく二手にわかれた。
 この谷間に大きな堰を造るらしい。谷間の両脇から土手を造り、水を堰止め、ため池を造るらしい。
 リクが考えても人工のため池を造るのは相当な重労働のように思えた。百人ほどでアリのように働いても、何日もかかりそうだった。
 リクはあたりの様子をうかがった。隣でいたトビがほくそ笑んでいた。
「逃げようと考えているのか」と声をひそめてささやきかけてきた。確かに逃げる方法はないかと、リクはいつもあれこれ考えていた。テンが二人の傍にきて、ニヤニヤ笑っていた。
「この谷に入って行っても、逃げれやしないぞ、この先はうば捨て山だ。そこを越えても突き当たりで、断崖絶壁の滝があるだけだ」
 この谷の奥に人一人通れそうな道は続いていた。ヨネ婆が言っていたうば捨て山が本当にあるとは思わなかった。
 鉈を持った男達が生いしげったシダとイバラを払い落とした。沢の両脇の山に入り、道をつけた。
 足の鎖が重くじゃまになり、山の斜面に立ち、山を削るのはむつかしかった。何度も滑り落ちそうになった。まだ本格的な夏がきたわけでもないのに、白ぽっく乾燥した山肌から反射した強い光が顔に当たった。うつむいて山をけずっていると、額から汗がしたたり落ち、目に入った。腰を伸ばし、作業の手を休めると、罵声が飛んできた。
 モッコを運ぶ人間も斜面を転びそうにながら、沢と山を何度も往復していた。
 リクはあまりにもつらい力仕事にへたり込みそうになった。山肌のくずれて浮いた土には鍬が入ったものの、少しけずると岩盤が顔をのぞかせた。鍬は岩盤にはじき返された。岩盤に当たるたびに手がしびれた。
 トビが隣で苦しそうに、鍬を振り下ろしていた。気の強いトビも根を上げ、顔をゆがめていた。リクも苦しく、トビに声をかけて励ます余裕はなかった。まだ水汲みの方がましだった。
 テンも少し上段で奴隷達に混じり、上半身裸になり鍬を振り下ろしていた。
 テンが汗水流して働いている姿に驚いた。そんなテンを見るのははじめてだった。いつもなら奴隷達の働く姿を、うっすら笑いを浮かべ、のんびりながめているだけだった。
 テンはこたえたらしく、腰を伸ばし、休もうと、まわりに声をかけた。
 リクはその声を聞いて、勝手に休んで良いものか、ためらったが疲れには勝てず、地べたにへたり込んだ。トビはまだ幼さの残る小さな肩で、大きく息をしていた。自分でさえきつい仕事なのに、さらに年下のトビにとっては、限界を越えていた。
 ヨネ婆が持たせてくれた竹筒の水を、トビと分けあって飲んだ。飢えも苦しいものの、渇きのほうがもっと苦しかった。
 腰を下ろして休んでいると、新たにできた山道を白い服を着た男達が登ってきた。先頭の男が、休んでいる奴隷達を目敏く見つけ、怒鳴った。
「誰が休んでいいと言ったんだ!」
「オレが休ませました」テンは思わず立ち上がった。テンの目におびえがかすめた。リク達に見せたこともない表情だった。
「勝手なことをするな!」と男はテンに手を上げた。テンは避けようとして、傾斜に足を取られ、転んでしまった。男は蹴飛ばした。後についてきていたダンオウは、黙って騒ぎを見守っていた。
「さっさと仕事をはじめろ!」と男は怒鳴っていた。
 テンは立ち上がり、またふたたび鍬を手にした。テンもイヌのようにしっぽを振ってみせたところで、白い服を着た男達には奴隷と大した違いはなかった。
 リクもよろめきながら立ち上がった。トビはうずくまったままだった。リクが腕をつかんで立ち上がらせようとしても、動かなかった。
「なにやってんだ!」とテンは腹いせにトビを怒鳴った。リクが腕を引っ張っても、トビはぐったりとしていた。テンがいきり立ち、トビをつかんだ。しつこく立ち上がらせようとした。テンの顔に怒りとあせりがないまぜになっていた。
「そこのおまえ、下の沢に連れて行って休ませてやれ」黙って見守っていたダンオウがと野太い声でリクに命令した。
 リクはおどおどしながら、テンと二人がかりでトビを抱き上げた。まわりで作業をしていた人間達が、さげすむような目、心配そうな目を向けてきた。
 滑り落ちないように沢まで下り、木陰にトビを寝かせた。沢の水を竹筒に汲み、無理矢理飲ませた。火照った体に水をかけ、冷やしてやった。
 シダを集めていた子供達が遠目にリク達の様子をうかがっていた。ヒワも横たわったトビに気づいているものの、それでも寄りつかなかった。
 テンが手招きしてヒワを呼んだが、ヒワは首を振った。ヒワの傍にいた男の子が、意地悪そうにヒワを押した。ヒワはその手を払い、そのままプイっとシダを抱え、走り去った。
 沢の両脇に土手が少しずつ築き上げられていた。それでも一日近くたってもその量は微々たるものだった。いくら大勢の人間がモッコで土を運んでも、たかが知れていた。
 ある程度土を積み上げると、大きな板で叩きしめていた。子供達が集めてきたシダを敷き、またさらに土を盛った。同じ作業を果てしなくくり返した。
 モッコを担いだ人間が右往左往していた。これでは土手が仕上がるまでに、自分達の体が持たないだろう。
 沢から山の中腹まで障害物がなく見通せた。
「綱を谷に渡して、モッコを引き下ろしたらどうだろうかな」とリクは一人つぶやいた。それを聞いていたテンが、山の中腹と沢に何度か視線を往復させた。
 次の日も同じように多勢のムラ人、奴隷がため池造りにかり出された。トビは一晩寝るとまたふたたび元気を取り戻していた。
 山の中腹まで登ると、白い建物がはるか遠くに見えた。この山からでも見えると言うことは、相当大きな昔の建物だろう。
 テンが白い服を着た男達にへりくだったように、なにかを説明していた。ダンオウも混じり、耳を傾けていた。テンが山の中腹から下の沢を指で差したりして説明していた。
 ダンオウも男達もうなずいていた。話はついたらしく、男達の一団は山を下りはじめ、リクの脇を通る時、テンがダンオウに、
「綱を張ってモッコを下ろしたら良いのではと考えたのは、このガキです」
 ダンオウはリクにするどい目つきで一瞥すると、無言のまま通り過ぎて行った。リクは威圧感を感じた。
 ふたたび男達が綱を担いで上がってきた。テンも手伝い、綱を切り株にしばりつけ、沢まで下ろした。沢の木にしばりつけ、綱を谷に渡した。終えると、モッコを綱を使って下ろしたり、引き上げたりした。
 ため池造り、田んぼの水汲みが、明けても暮れてもいつ果てるともなく続いた。どの顔にも疲れがにじみ出ていた。ムラ人達はうらめしげに、雲一つない空を見上げた。

続く